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師弟

今年、前職の大先輩の訃報を聞いた。  あのゴッドファーザーのような人が亡くなった。 信じられず、私は大先輩の自宅を訪ねた。 しかし、そこはもぬけの空だった。 空を見上げ、誰もいないドアに一礼して車に乗る。 帰り道、助手席に置いた花が、静かに揺れていた。 本当に厳しい人だった。今ならパワハラと言われるのかもしれない。  それでも私は、この人の技術を盗んでやろうと必死に食らいついた。 気が付けば、先輩は付きっ切りで私を指導してくれた。 出来なくて頭を叩かれたこともあったが、そんなことはどうでもよかった。 彼は本気で、私という人間と向き合ってくれていたからだ。 おかげで、私は一人前になれた。 先輩が退職する時、こう言われた。 「若い衆をよろしく頼む。仕事はぼちぼちでいい。礼儀をしっかり叩き込んでくれ」 その時、ハッとした。 先輩は私に仕事を教えると同時に、人としての「礼」を叩き込んでくれていたのだ。 今度は、自分が見送られる番になった。 皆と握手を交わした時、あの大先輩の気持ちが初めて分かった。 「先輩、すみません。最後に見送ることができませんでした」 昔の写真に語りかけた。

早苗月/萌える新芽

 家族の繋がりは血であり今この中に流れる血は親そのものだ、親もその親の血を体の中に受け継ぎ生きている。昨日は、5月から産休を迎える同僚の激励会だった、約1年半の休暇、職場も彼女が欠ける事は痛手だ、しかし生まれて来る子供の為、己の人生の為、もっと大きくは日本の為に元気な子供を産んで欲しい、日本の未来は分からない、しかし確実に言える事が一つ在るそれは子供達が日本に命を吹き込むと言う事だ、そして私たちの希望でもある、特別な事は必要無い、皆が愛情を注げば子供は応えてくれる、私はそう信じる、きっと子供たちは日本を救ってくれる。好きな言葉の一節だ/「愛して下さい、痛いほどに…。」

風吹く命

落ち葉は自ら動く事が出来ない、しかし風が吹くと命を得る。ある日祖父と凧を探しに行った糸が切れて飛ばされた凧だ。確か私が小学校に上がる前だと思った。祖父は暫く動かしていない車に、バッテリーを乗せ、エンジンオイルを注ぎ、ガソリンを入れてキーを捻る、エンジンは掛からない。私は、助手席にちょこんと座った、ガソリンと煙草とカビの匂いがする、祖父はセルの回る音を聴きながらキーを捻る、私がため息をつき、ダッシュボートで遊んでいるとエンジンが掛かったブルン…パンパンパンパン…白煙がもくもくしていた。祖父は得意気な顔をしていた、そして西の山に車を走らせた。車を停めて、山の中を探した、溜池、湧き水場、植林した林、開墾した畑…足が棒になるまで歩いた…凧は見つからなかった。諦めて帰ることにした…が、クルマのエンジンが掛からない、ボンネットを開ける祖父。私は助手席に座りボンネットと祖父の影を見ていた。夕方、もう薄暗くなっていた少し不安になる。ガラガラガラ…トラクターの音がした、父だ、父は無言でトラクターにワイヤーを掛け祖父の車をを引っ張り、そのまま帰路についた「車…壊れたね…」、「あぁ…そうだな…」帰り道ぽつりと話した。何日かして業者が祖父の車を引き取りに来た、祖父はその様子をずっと見ていた、車が去った後もしばらく外に居た、後で知ったがその車はスズキのスズライトという名前の車だった。かれこれ20年は経っていただろう、祖父はそれを大事に乗って居た、祖父が命を吹き込み最後の走りとなった…祖父の期待に応えて寿命を全うした…。私が納屋に行くとオイルのこぼれた跡が在った。

地獄の境界線

1919年大正8年に祖母はこの世に生を受けた。この頃日本は第1次世界大戦直後で好景気に沸く一方物価高騰で庶民は苦しんでいた、そんな混沌とした時代だった。1926年大正15年5月24日十勝岳が噴火したそれにより泥流が発生した。祖母はいつもの様に畑仕事をしていたそうだ、地響きと共に噴煙が空に立ち昇る唖然と見ていたが誰かが「逃げろ!」と叫んだ。祖母も皆の逃げる方へ走って逃げた、ふと後ろを見ると土煙を上げて泥流が押し寄せて来ている。逃げ遅れて巻き込まれて居る人も見えたそうだ、祖母は必死になって走り続けた、命がけの鬼ごっこだ、少し小高い丘の上に避難すると泥流がその横を津波の様に流れて行った泥流の中からは人の断末魔がずっと聞こえていたそうだ。この後祖母は天涯孤独の身と成った。祖母にはつらい記憶だったであろう…一瞬で家族を全て失ったのだから。しかし祖母が生きたから私が居る、祖母の生きる執念が、私をこの世に繋ぎとめている。祖母は本当に優しかった、私の事を愛してくれた…「私は祖母の傷を癒す事が出来ただろうか?」せめてブログに刻もう…そう思った。

0.625~計量スプーンと私

 今日で、減塩生活10日目…体の調子が良い薬を飲まなくても最近は血圧が正常値だ。最初の3日は、全く味がしない料理に愕然とした「醤油を掛けてしまおうか?」何度も迷った、「顆粒だし」、「レモン汁」、「鰹節」…等々色々工夫した、軽量スプーンも買った(小さじ1/8まで計れるタイプ)1食1.6~1.8グラムを守り通した、最近は薄味でも満足出来るように成った。買い物に行く、塩分表示を確認するが、ぼやけて見えない…「老眼鏡を忘れた…。」なるべく塩分表示が見える物を買う「スマホ読み取りで塩分表示が確認出来れば良いのにな…」そんな事を思う。ミニトマトを買う「帰ったら冷凍しよう。」値段と相談しながら買い物をする、最近は全てが値上傾向だ、買い物も慎重になる、もう苦笑するしか無い…。ふと、イソップ童話で狐が天に向かって悪口を吠えたら悪口が渦巻いて狐の上に落ちてペッチャンこになった話が思い出される。今日の買い物は少し予算をオーバーした。減塩生活に挫折して今までの食生活にもどるかもしれない、それでもいい…今は挑み続けるそして自分の味覚の進化を期待する。

18歳~オイルとガソリンの匂い

 私はバイクの夢をよく見る。高校生の時に原付免許を高校の同級生(D君)と旭川に取りに行った、母が以前使っていた模擬試験問題と学科教本を借りて授業中も勉強した、D君と試験の日まで問題を出し合って勉強したとても楽しい時間だった、試験当日近くのデパートで「カツカレー+ラーメンセット」を食べたのが記憶に焼き付いている。私はその後「ヤマハのTRY」という中古スクーターを買った、確か10万ぐらいだったと思う、バイトのお金とお年玉や小遣いを全て使い切った、それでも足りずに親に頼み込んでお金を借りた。自賠責を支払いナンバーが付いたとバイク屋さんから連絡が来て飛ぶような気持ちで取りに行った。少し緊張してバイクで家まで帰った。同時期、中学生時代の友達(T君)が同じく原付のバイクの免許を取った、彼もまた、小遣いやバイト代でバイクを買った「スズキのハスラー50」だハスラーはMTでバイクが大きくて50㏄には見えなかった、T君とは高校が違ったので土日しか遊ぶ事は無かった。でもバイクの話をすると時間を忘れて熱くバイクの事を語り合っていた、私もハスラーに乗せてもらったが、上手くギアチェンジが出来ず路上を運転する事は無かった、しかしT君は運転が上手く私のTRYではついて行くのが精いっぱいだった、いつもT君の背中を見て運転していた。その後D君とT君には高校卒業以来会っていない、でも私に取っては二人は宝物だ…。夢で見るのはこの「ハスラー」だ、私がハスラーを運転して風を切っているギアチェンジも上手いものだ、夢の中で「運転が上手くなったな…」と自我自賛していた。

3.11

 2011年4月24日(日)私は石巻市に居た。目を閉じるとあの匂いと風が蘇る、石巻スタジアムに向かう途中ぼんやりと景色を見ていると80歳ぐらいのおばあさんが私たちに手を合わせてお辞儀をしていた「あぁ…この人も被災したんだ…」グッと胸が締め付けられた、私は軽く頭を下げると復興作業への闘志が湧いた。女川町で子供の御遺体が見つかった私たちは現場に駆け付けた。皆合掌して泣いている、私も涙が溢れた潮風が頬に冷たく感じた。地獄の中に桜の木が在った。妖艶で血液すら感じる堂々とした桜だ、全てを失った街に一本、エンジェルラダーの様に輝いていた。

東京

 私は、高校を卒業して直ぐに「東京に行こう」そう思った、田舎には無い楽しい事が溢れていてキラキラしている街に憧れた、特に何をしたいと言う事もなく只、憧れるだけだった。結局軍資金も無く地元に就職をした、当時バブル絶頂期で東京から帰省する友人の話は羽振りの良い話ばかりだった「俺だって東京に出てやる!」そう思う日々が続いた。バブルがはじけた…友人を誰一人帰省で見かける事は無くなった。今朝は、いつもより土の香りが強い昨日は強風だった。山ほどの枯れ葉掃除をしているとタンポポの蕾を見つけた「こんなに寒いのに…」冷たい風に吹かれても、春には必ず命を結ぶ、絶える事のない自然の強さ…、昔から此処に生きて種を作り次に命を渡す、親から子へそして孫へ…。「東京は雨か…」曇り空、畑を耕すトラクターの音を聞く。

ここに生まれて共存する。

カラスが一羽やって来た、私を見ている。私は屋上に居る、良い眺めだ、そして排水口の清掃をしている、春はゴミが詰まり雨の後は大きな水たまりだ、さくらんぼの種の様な物が排水の邪魔をいている、それを一個づつ取ってゆく。ゴゴゴゴゴ…水が落ち始める、「カァ!」と一言、そうして首をかしげた。「どうした?」と問いかけた、するとバサバサバサと飛んで行った…。「ああ、そういう事か…。」私は去るカラスに言った「もっと綺麗な水を見つけろよ!」小さくなった翼を見送る。

言葉を慕う

 「短気は損気」私が小さい頃から聞いて育った祖母の口癖だった。だが未だに深い祖母の考えは理解出来ない、というのもこの言葉だけからすれば、「短気は損するよ」と聞こえるがこの「損気」にそれだけでは無い何かが隠されてるような気がしてならない。仕事の事、家族の事、何気ない日常、些細な事で腹が立つ事が沢山在る。私は色々な事を試して自分の怒りをコントロールしようと思った、しかしどれもしっくり来る解決方法は無かった…しかしある日気づいた。「別に腹を立てても良いのではないか?」「相手に怒りをぶつけなければそれで良いのではないか?」そう思うとなにか、吹っ切れた気がする「私は、私、誰とも違う」そう思う様にした。今は私はこう解釈している「短気でも良いよ、でも他人に怒りをぶつけるのは損気だよ。」そしてこう思う「少しは、貴女の深い考えに近づけたでしょうか?」

一杯のうどん

 今日は、定期の通院血液検査だ、昨日は軽めの夕食と21時以降の絶食で、今朝は絶好の空腹状態だ。何時も通りの検査を受け医大の先生に診断を受ける。検査の結果は以外にも尿酸値が高かった、薬をもらい家に帰りやっと朝食だ。減塩レシピのうどんを作る、水300ccに対して顆粒だしを0.62ml(小さじ1/4)を入れる、ひと煮立ちさせ刻んだ生姜を入れる、うどんを入れ生卵を落とす、片栗粉でとろみを付ける、丼に盛り付け鰹節とネギを少々(塩や醤油類は入れない。)「いただきます。」熱々を啜る…胃に染み渡る旨さ、空腹も増して最高のご馳走になる「いかん、いかん」一機に掻き込んでしまう、少しづつ、少しづつ、慌てない…ゆっくり味わうと「食べ物に生かされている。」そう感じる、食器を片付け調理具を洗うそして、尿酸値がなぜ上がったか考えながら十勝岳連峰を崇める。(追記:医師の見解では体調により尿酸値も変動するのだとか、様子を見るとの事)

灯プロローグ

 私がブログを書き始めた時に思った事が「祖母を書く」事である。考え方や生き方を教えてくれた方だ。とても一言で書けない、沢山在りすぎて整理が付かないほどだ。大正ー昭和ー平成ー令和を生きた…時代はうつろい変わってもその生き方は変わらない揺るぎない人だった。紫の絞り着物、祖母が宝物にしていたしつけ糸もまだ付いたままだった、最後にこれを纏い煙となって天に返って行った…これから祖母についてぽつりぽつりと書いて見る。此処に生きた証を永遠に封じ込める為に。

大切なものを写すこと

 今日は雨、車庫の中で刈払機のエンジンを掛ける初始動だ。丸歯の取り付けを確認して混合ガソリンを入れる、燃料コックを開いてアクセルを少し開ける、チョークを引っ張るリコイルスターターを引く当然1回では掛からない。1回、2回、3回…少し汗ばんでくる、そして手ごたえが在る「掛かれ!」ボボボ、ブルンブルン、ギュイーン白煙と共にエンジンが回る。排気ガスの匂い…悪くない。MAZDAのロタリーエンジン、正に広島原爆投下後の奈落から蘇生した不死鳥の会社だ。サバンナRX-3は親父が初めて手にした車だ。あの頃のロータリーエンジンの排気ガスの匂いどこか似ている。私が生まれたのを機に買った、当時は第一次オイルショックで国内は原油高騰により物価が急上昇し経済が混乱していた時代だった。写真が一枚在る、おふくろと私とこの車が写っている昭和の空気が流れるショットだ、当たり前だけど、おふくろが若い。親父はこの車を大切にしていた、いつもピカピカに磨き上げて車庫に入っていたのが今でも目に浮かぶ…親父はきっと大切な物を写真に収めたかったのだろう。刈払機のエンジンを止める、雨の音だけが優しく響く。

遠くから聞こえる愛の言葉

 私の母の妹、○○おばさん…ここでは「おばさん」と呼ぶ。そのおばさんとその家族と過ごした楽しい時間は宝物だった。玄関を上がると、何時もニコニコして「○○は兄弟が居ないから、寂しく成ったら何時でも遊びにおいで…。」と優しくいつも包んでくれた、そして昼食には私の大好物のラーメンを必ず出前注文してくれた、熱くて舌が火傷しそうで、美味しくて心から温まった。そのおばさんが38歳の時病気で帰らぬ人と成った、幼い子供4人を残して。今でも墓標の名前を見ると胸が熱くなる、疾うにおばさんの年を越えた私、墓標には38歳のおばさんが居る、思わずおばさんの名前に触る…。感謝を伝えようと思うときその人はもう居ない。強い風が一つビュッと吹く…私は空を見上げる。

十八の瞳

 今年も新一年生が元気に登校してくる、大きいランドセルに黄色いカバー、夢一杯詰め込んでその小さな体で走って来る、見ていると元気をもらう、清々しい。私は、春先学校周りのゴミ拾いを必ず行う、毎年思うのだが雪解けはゴミが多い、その中でも一番憤慨するのがビールや酎ハイなどの酒の空き缶だ、どう見ても学校の横の道路を歩きながら飲んで捨てた感じがする、それとタバコのフイルターこれもポイ捨てだ…本当に多い、いい大人が悪い事を平気でやっている、子供の頃は悪いことだと思っていたはずだ、同じ大人としてなさけない。だから私は毎年ゴミ拾いをして綺麗にする、ひとつ残らずひたすら拾う。子供たちが安心して笑いのびのびと走る、それでいい。

心に残った大人

私が中学1年生の時に秘密基地を作った、当時は空き地があちらこちらに在り其処で草野球などして遊んだものだった、その空き地には建設資材が無造作に置いて在りそこで遊んだりしていた、ある時その空き地にコンクリートパネル(基礎を作る時に使う合板の板)が置いてあり、それを使って秘密基地を作ろうと言う話に成った。私たちはコンクリートブロックや木っ端を使い四角い屋根付きの秘密基地を作った、そして食料を持ち寄って其処で食べた「カルピス、豆パン、梅干し」だった、各人1つずつ持ってくる約束した。そんなショボイ物でも秘密基地で分け合って食べる味は格別だった、それから学校から帰るのが楽しみで授業中もその事ばっかりを考えていた、しかし3日目、ヤンキー風の青年が来て「俺の所でなにやってんだ!」としこたま怒られた、パネルを叩くは、蹴るはで物凄く怖かった、すると今度は、白髪のおじさんがやってきた、ヤンキー青年と何か話している「あぁ、また怒られるのかと思いきや」おじさんがこう言った「こんにちわ、秘密基地だろ?楽しいよな…」「俺も昔は秘密基地を作ったもんだ。」私たちはポカンとした「でもさ、此処は危ない物が沢山あるから、もう入らないでね。」私たちは面食らった「怒らないんだ…この人…」そして、おじさんと私たちで秘密基地を解体した「クソ!せっかく作ったのによ!」友達が帰り道に吐き捨てた、私も少し残念だったがそれより「こんな大人もいるんだ…」って事が心に残った、あの優しい笑顔と、ゴツイ手は忘れる事が無いだろう。

絶景、活火山十勝岳連峰

 山の雪が摺りガラスの様に綺麗だ、後藤画伯が愛した山は今日も輝いている。今日は風が強く行きかう車も無表情だ。この山をずっと見ていると実在感が消え一枚の絵に見えてくる…不思議な気分だ、冠雪と裾野の雪解けのコントラストのせいだろう。上富良野町にかつてもう一人この山を愛した名も無い画家が居た、この山をひたすら書き続けたそうしてこの愛する大地の土に返って行った、目下白鳥が鳴いた、春の晴れた日は山が静かに語りかける。

境界を越える夢 ― 明治の風に吹かれて

1894年(明治27年)朝鮮半島で名も無き農民達が狼煙をあげる甲午農民戦争だ、1898年(明治31年)三重入植団体第一陣が上富良野に夢と希望を持って入植した。(この際、釧路の入植団体と同じ船だったと聞いた事がある。)私のご先祖は土地を持たない小作人だった、だが故郷と全てを捨てて荒れ狂う海を越えて来た。この時代農民は、生きる為に命がけで家族を守ろうとした。鍬を剣に持ち替え戦った者達、同じく斧を握り直径1メートルはある木に挑んだ者達、正にこの頃、生きる心境は「臥薪嘗胆」だつたのではないか?国は違えども自分と家族の為戦った。勝つか負けるかは関係ない只自由を得る為に、私の先祖も立ちはだかる困難に打ち勝ち今の私が居る。かつて上富良野の入植者は赤の他人でも兄弟や親戚の様な付き合いが在ったと聞いている。今の土の匂いもあの頃と同じだろうか?

町内会ゴミ拾い~84歳の生きざま。

 今日は、毎年恒例の町内会のゴミ拾だった、雪交じりの雨の中皆が集まった、雨のせいか皆のテンションは低い。その中に近所のおじさん(84歳)が今年も参加してくれていた、最近病気で入院をして退院したが足が悪い、もう参加を断っても良い年なのにおじさんは絶対に断らない…本当に頭が下がる。ゴミ拾いが終わり弁当をもらって解散していく「お疲れさん!」おじさんが1人1人に声をかけて帰って行く、「おじさん長い間見守ってくれてありがとう。」そう心で呟いて、私は深々と礼をした。

自分自身のメンテナンスの時間

 3年分の空白を埋めた対価としての二日酔いこれもまた、再会の良き余韻。ベッドの中で目を閉じると、昨夜の笑い声や、後輩が語ってくれた言葉がリフレインする……。外の喧騒を遠くに聞きながら、布団の中で過ごす静かな時間引退したからこそ味わえる何もしない何も考えない時間の豊かさ。乾いた体に水が染みるように、昨夜の言葉も心に染み渡っていく。

雨の中を歩いて飲み会に行く

今日は後輩と酒を呑む、3年ぶりに誘ってくれた事が嬉しかった。現役を引退した私を未だに慕ってくれる、七輪を囲みほんのり灯る電灯の下で今夜は3年分の話しをしよう、そして戦友達の話しを聞こう。

春一番桜

 暖かい強い風が容赦なく吹き付ける、飛ばされそうな風の中でじっと春を握りしめている固い蕾がある、音を立てしなる枝、頑張って自分らしい花を咲かせてほしい。

4月7日のブログ

間違えて消してしまった!!ショック!!💧

6年生に成った大切な友達

 春は出会いと成長の季節だ、私には会うたびに握手をしてくれる大切な友人が居る、差し出された手は、出会った頃より少し大きくなった気がする。でも、真っ直ぐな瞳はあの時のまま。彼の進む道がこれからも明るい光で満たされている様に心から願う、握手して温かくなった自分の心を見つめた。

北国の春

春の陽気か?眠い!仕事が終わり帰宅して横に成ったら一瞬で寝ていた。普段睡眠は浅く一寸した事で目が覚めるのに気絶するように爆睡した。目が覚めると今日の記憶が飛ぶぐらいだ、土の薫り、暖かい風、太陽の日差しが心地良い…もう少しこのまま、もう少しこのまま。

ゲーム三昧

 今日は一日ゲームをした、その合間に読書、SNS(X)、you tubeお気に入りキャストへのコメント…ふと窓を見れば空は晴れ、新緑の大地に春の香り「あぁ、良いなこの感じ…。」もうすぐ夕暮れ良い休日だ。

一日まったり

今日は二日酔いだ、昨日は2つの宴会を掛け持ちした。朝起きると頭痛だ、「弱く成ったな。」と布団を被り2度寝した。目が覚めてペットボトルの水が美味い、しばらくyou tubeを見ていると腹が減って来たので「辛ラーメン」を食べる汗をかくとアルコールも抜ける、シャワーで髪を洗う気持ちが良い、しばし寝る、洗濯をする、渇いた洗濯物をたたむ、ブログを書く…あっという間に夕方軽く夕食を済ませてベッドに入るまどろみながら明日何をしようか考える。

シュークリーム

今朝から5回はトイレに行っているお腹の調子が悪い…やはり消費期限切れは食べたらだめだ。

初フォロワーされる

群馬の方がフォロワーになってくれた、嬉しかった、これからも冴えないポストを自分なりに頑張ってあげていこう。