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6月, 2026の投稿を表示しています

響け!子供達からの贈り物

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 今日は「音楽パレード」があった… 子供達から中学生まで、のびのびと演奏していた… 昔…20年前ほど…我が娘もこのパレードに参加していた +++ 「社会を明るくする運動」(法務省)は7月強化月間となっている 犯罪や非行の防止、立ち直りの支援、更生保護ボランティア活動などを主軸としているらしい 最近は、凶悪犯罪が増えているので…せめてこの期間中だけでもいたましい犯罪が起きないで欲しいものだ +++ 小学3年生、娘はシンバル担当だった___ 自分より大きなシンバルを持ち演奏していた 約3Kmの道のり 私はビデオカメラ片手に娘を撮り続けた 途中からシンバルの重さに負けて、腕が上がらなく成って来ている 「もう少しだ!頑張れ!」私はカメラのファインダー越しに応援した 泣きそうになりながらも、何とかゴールにたどり着いた もう、シンバルを持っているのも苦痛の様だった でも、やりきった 「よくやった!えらいぞ!」私は、そう頷いた 担任の先生に引率されて帰路につく娘が今までより一周り大きく成った感じがした +++ 今日の「社会を明るくする運動」啓発パレード、子供達がキラキラ輝いていた この町の宝石達… 天使が奏でる音楽に心が幸せに成った。 灯

命のごみ

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今日は、垣根の選定をした お天道様は出ているが、以外と涼しい いつも_思うが...この垣根に風でプラスチックごみが飛ばされ引っ掛かっている 「あぁ…もったいない…。」 私はそれを、丁寧に拾う... +++ ホルムズ海峡、今日も此処に命を掛ける日本人が居る この海峡は未だに敷設機雷が行く手を阻んでおり、今までの1/10の通航と成っている... 更に、何時何処から砲弾や銃弾が飛んで来るか分からない 正に命の保証は無い海域だ 日本は中東から約70%のナフサを輸入している 国内のナフサの需要を考えれば、日本でのナフサ精製量は微々たるものだ... +++ 私が、プラスチックごみを拾う理由がもう一つ在る「海にこのごみが飛ばされない」為だ 内陸のごみは最後は海にたどり着く...そして魚が食べる その魚を私たちが食べる... 私が、している事は微々たる事だ 私がプラスチックゴミを一生懸命拾っても、海のゴミは変わらないだろう... 只、私は生きている間に出きる事を、今したいのだ あの戦闘が起こり益々「プラスチックゴミを拾わねば」と強く思った ホルムズ海峡の日本人と漁業をしている人に...そして母成る海へ感謝を込めて__今日もゴミを拾う。 灯

色褪せた鞍の残光

 私の実家には「馬小屋」という小屋がある 昔、馬を飼っていた名残だ そこには「馬の鞍」が梁に掛けてある… 先日、この馬小屋のゴミを処分したが…この「鞍」だけは捨てられなかった +++ 父の話だが__小学5年生の頃この馬で牛乳を運んだらしい 毎日_毎朝_早朝、馬橇(ばそり)に牛乳缶を積んで瓶詰めの工場まで運んだ それを10年以上続けた… ある日、工場で馬を繋ぎ忘れたらしく中から戻ると馬が居なくなっていた… 父は焦り、辺りを探したが何処にも見当たらない 当時は、その周辺に民家や建物は無く畑や水田が続くだけの何もない場所 まっ平なので、一望すれば馬が確認出来るはずの場所だったが 馬は何処にも見当たらなかった 家に帰ると、馬と馬橇が馬小屋の前に戻っていたらしい、馬が「一人」で帰って来たのだ もう一つの話が その頃は、馬で水田を耕していたそうだ… ___馬は疲れると動かなく成り…何をしても、座り込んでしまうらしい 父が後を継ぐまで、そんな馬とのやりとりが何度もあった事を話してくれた… 今の私では、世話は出来ない無いな…と思いながら聞いていた___。 しかし_父がこの鞍を捨てないで置いてあったのは、この馬への愛情だと思う 無骨な父なので「馬への愛情」については語った事が無いが 私には分かる気がした… +++ 娘には申し訳ないが、私が生きているうちに_この鞍を捨てる事は出来ないだろう… 馬小屋に掛かる手綱を触ると…父の汗が手に伝わった来る気がした。

遠くの月/近くの真心

 昨日、父の日のプレゼントが届いた 中身はバスケットボールのトップス(古着)だった まぁ、我が娘ながら私の好みを良く知ってるなと_関心したものだった プレゼントは幾つに成っても嬉しいもので 私はウキウキしながら包みを開けた… 無論、写真に収めてlineをした 「ありがとう、大切に着るわ」と… 中に入っているメッセージカードを読むと 「東京」で就職がやっと決まったらしい… バイトで食繋いでいたが…本職に就けそうだ 私は、早速Amazonで就職祝いを探した 折角なので少しだけ高い物を探した… 結局、2万円ちょいの「ブローチ」に決めた 「あいつに似合うだろうか?」 そんな事を考えながら選んだ… 我ながら親ばかだと…苦笑した 何時もAmazonで買い物する時は少しでも安い物を選ぶのに 娘へのプレゼントは、高い順から見た… 夢を追って東京に出た娘… 成功するか、失敗するかは分からない… もし失敗しても、この富良野盆地に戻ってくるが良い 此処はご先祖様からの土地、きっと優しく迎えてくれる。 +++ プレゼントされた服は、今、部屋にハンガーに掛けて飾っている、それを見ながら「いつ袖を通そうか」考え中だ。

祖母が照らした道標

 今日は、私の懺悔だ 私は、小学生の頃、祖母の財布からお金を盗んだ事が在る 祖母の、嫁入り道具唯一の箪笥の小さい引き出しにがま口が入っているのを知っていた そこから、10円_50円_100円と盗んだ 日々、駄菓子を買うためだった… 最初は、悪在感が在ったが_やがてそれも消えてしまった 「バレていない」私は心の中でほくそえんだ物だった そんな、ある日 私の勉強机の「国語」の教科書の間に白い封筒が挟まっていた 封筒の中を覗き込むと、500円札が入っていた 私は、ピンと来た「祖母だ!」 そう、私がお金を盗んで居た事を知っていたのだ! それから、気まずい日が続いたが、祖母は何時もと全く変わらなかった 両親にも言っていない様子だ 私は、打ちひしがれ、その日からピッタリと盗むのを止めた 怒られるよりも効いた それから、毎月、祖母は500円札を封筒に入れ教科書に挟んでくれた +++ やがて中学生に成り、親から小遣いを貰うようになると、私は、祖母の箪笥に白い封筒に入った500円札と、折り鶴を2羽入れて置いた すると、次の日 封筒が又、教科書に挟まっていた 私は、疑問に思い封筒を覗いた すると その頃、もう珍しくなっていた「100円札」が入っていた 私は、祖母に「ありがとう」の一言が言えなかった 今でもその100円札は、私がマイホームを建てた時の「家の写真」とともに玄関に飾ってある 祖母はその写真を見る事は無かったが 私の「懺悔」の気持ちを玄関に残した。

デジタルとアナログのブログ

最近、筆記具を買うのにハマっている ブログの「ネタ帳」を付ける為に買っている この、ネタ帳をつけ始めたのは「忘れるのを」防ぐ為だ 以前は、思いつくままを書いていたが 欲が出て来て、あれも書きたい_これも書きたいと思うように成ったが いざ、書こうと思うと…「あれ、何を書こうとしたんだっけ?」 と記憶が戻って来ない 若い頃は、そんなメモとか忘備録なんて書いた事が無かった 頭の中に入って直ぐに呼び出せた物だった +++ 最初は仕方なく、書いていたが 手帳に、びっしりとネタが書き込まれて行くのを見て 楽しく成って来た 「よし、どうせなら良い筆記具を買おう!」と思い 万年筆を買った…5千円ぐらいの安物だが、この書き味がすこぶる良い! 実は、人生初の万年筆で「半信半疑」で使ったが その書きやすさと、文字の味が気に入ってしまい 「なんで、もっと早く使わなかったのだろう!!」と嘆いた 勉強嫌いだった私が人生で初めて文字を書く楽しさを今、味わっている +++ 最近のもう一つのアイテムが、「毛筆のように払いが出来るボールペン」だ これは、インスタの動画を見て衝動買いしてしまった 実際に使って見ると、確かに毛筆感がある、そして「字が上手くなった」感じがするのだ! これも、手放せないアイテムとなった ちなみに、黒と青を買った… +++ 衝動買いは続く…今度は「筆入れ」を買ってしまった 3千円もした皮製だ…これは、ちょっと値段が高くて痛かった しかし、お気に入りの物に囲まれるとネタの執筆の楽しさも倍増する 今使っている手帳が後、数ページしか余白が無いので新しい物を 買おうと思って居る、無論カッコいい手帳を… ___衝動買いとブログは、妻には内緒だ。

久遠の愛

 今日は、カラスが騒がしかった いつもの、巣立ちの時期だ 親ガラスは、懸命に威嚇する これも、カラスの愛情なのであろう… +  +  + 私が子供の時、しょっちゅう、お仕置きをされたのが母だった お尻を叩かれたり、石倉に閉じ込められたり…そんな感じだった 今考えれば、ヤンチャな私を躾ける為に母も必死だったと思う でも、私は母が好きだった、中学1年生に成るまで一緒の布団で寝たこともしばしば在った 今考えれば、母も中学生の私と同じ布団でよく寝たものだと感心する 普通なら、「一人で寝なさい!」と言われる年齢に成っても、母は私を迎え入れ 母に包まれて、そして匂いに包まれて安心して眠った そんな甘えん坊だった、私だが18歳で家を出て働いた、私の「巣立ち」だ 今では、私が孫の顔を見る年と成った… 時々母が電話をくれる もう、孫も居る年なのに話す事は18歳の時と同じだ 私は思った、親は子が幾つになっても「子供」なのだと 私は苦笑して「元気だったか?」と受話器を握りしめた。

旧車に恋した5年間

私は24歳から29歳までの間 旧車、フォルクスワーゲン(ビートル)に乗っていた 29歳の時、結婚を期に手放してしまった 今でも、あの頃ビートルに乗ってた夢を見る メンテナンス、部品交換、レストアはぼ自分でやった 実家の納屋でリジットラックで車を上げ、エンジンを下した事も在った トラブルはしょっちゅうだった… アクセルワイヤーが外れたり、車軸のスプラインが全て飛んだり、ブレーキペダルのピンが外れたり… でも、それが愛おしくて堪らなかった 洋書の整備マニュアルを買って、英語を翻訳して整備したものだった 29歳の時に手放すのは断腸の思いだったが…手を掛けられなくなって、車庫で眠らすよりは、ビートルが好きな人に譲った方が良いと思い…そうした 買い手は直ぐに見つかった 中古車ショップの社長が買い取ってくれ、直ぐに売れた 社長曰く「車の隅々まで綺麗に整備されてたのが気に入って、お客さんが即決で買って行ったよ」 嬉しくも在り悲しくも在った 今でも、同じ色のビートルを見ると振り返って、ニコッと微笑んでしまう。

スマホの無い時代の青りんご達

 高校3年生 私は、親友Kと同じ女子(M子)を好きに成ってしまった その事は、Kに話す事は無かった… ある、暑い夏の夜_夏休みだったかは記憶がないが 私は、公衆電話(電話ボックス)へテレホンカードを数枚握りしめて M子の、家に電話を掛けた 今、考えれば何故そんな大胆な事が出来たか、自分でも分からない 高校3年生という、学生時代の最後に焦りを感じていたのかもしれない 心臓がドキドキして、目まいがするほどだった ラッキーなのか分からないけど、M子の兄貴が電話に出た 「夜分すいません、M子さんと同じクラスの〇〇と言います…」 と言うとあっさり「あぁ、待っててねと…呼びに行ってくれた」 もうそれからは、何を話したのか覚えていないぐらい緊張した M子が「何で、電話を掛けたの?」と聞かれた記憶が微かに在る でも私は、はっきりと「好きだ」とは言えなかった 「又、電話して良い?」と聞いたら「電話だけなら…」と言ってくれた 私は、帰り道ジャンプしながら帰った それから、告白するチャンスは何度も在ったけど、ついに「好きだ」とは言えなかった クラスの同級生は、KがM子を好きだと言う事は知っていたけれど、私がM子を好きだという事は、M子と2人だけの秘密だった いま思えば「車輪の下」の小説の様だった 今はもう、M子も孫が居るだろう… Kも私も、M子を射止めることが出来なかったが…今は青りんごの様に、甘酸っぱい思い出だ 時折、あの頃がたまらなく懐かしく成る時が在る 何もかもが上手く行かなかった、しかし、人生で一番、輝いていたのは、あの時代だった もし、あの頃にKにM子との関係を伝えたならば、何と言うだろう? そう、考えると思わず、ニヤッとしてしまう。

消えてしまう物を、語り継ぐ事

 近くの公園の「東屋」が解体される事に成った もう35年ほど経つおんぼろ東屋だ しかし、その35年間、子供たちや老人達の、雨風をしのぎ夏の日差しから守ってくれた町内のシンボルである 私も何度か、その東屋の下に佇んだ事がある 当時は立派な東屋で、青い屋根に太い柱、中には大きくて綺麗な木製テーブルが鎮座していた しかし今は、屋根は錆び、立派な柱は傾き、テーブルは崩れ落ちている 一番致命的だったのは、基礎のコンクリートがひび割れて所々崩れている所だった 今は、立ち入り禁止のテープがグルグル巻かれ解体待ちとなって居る 一つの時代が終わり、町の皆に安らぎをくれた物が消えようとしている 「今まで、ありがとう!」そう言うと、私はスマホで写真を撮った。

中指を繋いだ_見える力と見えない力

 私の左手の中指には深い傷があり、縫合した痕が在る 私が、小学5年生の時に家の手伝いをしている時に、バックレーキと言うトラクターの後ろに付ける機械に挟まれた時に出来た傷だ 当時、祖父が運転するトラクターの後ろに乗っていたが このレーキを油圧で上げる時中指を挟んでしまった 祖父は、私の異変に気付いて、直ぐにバックレーキを下げたが 私の中指は潰れて真っ白に成っていた 不思議なもので指に痛みは全く無く、出血もそれほどしていない 私と、祖父が指を見ていると 母が飛んできて、作業着のまま私を自転車の後ろに乗せて 病院へ全速力でペダルを漕いだ 母が立ち漕ぎをするのを初めて見た 途中出血が激しくなり、タオルで押さえたが、病院に着くころは、タオルが真っ赤に成っていた 病院に着くと外科の先生が 「こりゃ、派手にやったな…」とすぐ、縫合の準備をした 指先に麻酔を打たれ縫合が始まる この時初めて、指先に痛む感覚が走った 縫合が終わり、止血の為か指の関節が動かないぐらい、包帯を巻かれた 麻酔が切れると、指が脈を打つ様に痛かった それから、数日後、レントゲンを撮ったり、傷の具合を診断してもらった 骨にも、異常はなかったし、傷口も化膿しては居なかった しばらく、また包帯のお世話に成った それから、祖父はバツが悪そうに元気が無かった 私は祖父に言った「大丈夫だよ、じぃちやん」 学校では、ちょっとしたヒーローになって居た 休み時間などは、私の机の周りにクラスの子が集まり 「ねぇ…痛かった?」とか「どれぐらの、傷だったのか?」とか「手術は怖くなかったの?」とか、色々聞かれて、抜糸の日まではそんな感じだった 抜糸をして2~3日で包帯が外れた 包帯が外れた指を、真っ先に祖父に見せた 祖父は、私の指を触り、少し笑顔が戻り私も安心した しかし、中指が完全に動かせるまで1年掛った その時の癖か、今、PCのキーボードを打つ時も左手の中指はほぼ使わないでいる 48年後の今、こうして5本の指が在り、仕事をすることが出来る あの時に、痛くて不自由な経験をしたが、「ご先祖様」が守ってくれたそんな気がしてならない。

Requiem/2人だけの宝物

 親友Kとの思いでをもう一つ…。 高校生の時だった 私たちは、公園の近くを自転車で走り回り遊んでいた すると 近くの河原にバイクが乗り捨てて在った 2人でバイクのそばに行き 「この、バイクエンジン掛からないかな?」 と、言いながら色々いじって見た すると、キーが付いているではないか! 「後は、バッテリーを積めば動くかもしれないぜ」と言い 親友Kの兄貴のバイクから、バッテリーを拝借した そして、バイクの所に戻りバッテリーを繋げ動かそうとした その時! 物々しい、大人4人に取り囲まれた 「動くな!警察だ!!」 私たちは、すぐさま両腕を摑まれパトカーに連行された そうして、パトカーの中で職務質問を受けた あのバイクは盗難されたバイクだった… それから、町の駐在所に連れて行かれ、こってり絞られた そうそう、パトカーから降りる時内側から後部ドアが開かない事を知った(警察官に外から開けてもらう) 必死に「盗んだ犯人」じゃ無い事を訴え 警察も折れたのか「拾得物横領」の罪状となった 夕方、母親が迎えに来た…「何やってるのよ、バカだねぇ…」 でも、それ以上叱られる事は無かった ほぼ、丸一日駐在所に居た、2人とも別々の部屋に連れられたので顔は合して居なかった 駐在所を母と出る時もKがまだ居るのかも分からなかった それから、数日後家庭裁判所から通知が来て、母と行き「親の観察保護」となった。 又、数日後、Kと校長室に呼ばれた2人で校長室に入ると担任も座っていた 初めて入る校長室、少しカビ臭かった ここでも結構、絞られたが無罪放免で学校処分は無かった 校長室を出るとKがなぜかクスクス笑ってるので、肩を軽く押し飛ばして 「なんで、笑ってるんだよ!」と私も笑ってしまった 苦くも甘い青春の1ページだった Kはもう此処には居ない、あの頃の思い出を懐かしく語らう事も出来ない でも、私はこの記憶を色褪せにしたくはない… いつの日か…Kの所に行った時に、もう一度Kの肩をポンと押してやるつもりだ。

死を乗り越えていく人々

平成24年6月_親友Kが死んだ Kとは、中学生からの親友で 遊ぶ事から悪い事まで何時も一緒だった Kの兄貴が、PCを持っていたので(NECのPCー88)ゲームも兄貴が居ないのを見計らってこっそり拝借した、当然Hなゲームもした 高校時代には、Hな本の貸し借りや、酒と煙草だった 大人への好奇心の固まりだった 高校を卒業しKも私も就職した、それからは疎遠に成っていた しかしKの事は1日たりとも忘れた事が無かった クリクリの髪の毛に少年のような澄んだ瞳 Kは温厚で純粋で...とても好きだった... 私が忙しく仕事だけに没頭している時に、1本の電話がかかってきた 友人SからのTELだった 「Kが事故で死んだ...」 「え!」 実感が湧かなく、生返事だけを繰り返した 通夜に行く 友達のSとMが居た そして、両親と兄貴 それだけの葬儀 私は、恐る恐る顔を見た 高校時代と全く変わらない顔だった そう...顔の縫合を除いては 両親の話を聞くと、単独の交通事故だったらしい 体の損傷も激しくて、即死だったそうだ... 通夜も終わり...友達2人とも別れた、とても昔話をする気分には成れなかった 次の日、本葬に行った 両親の達ての願いで 火葬場まで同行した 火葬の釜の中へ入る直前の 最後のお別れの時に成って 父親が号泣した「○○!!!」 親友の名前を叫びながら、棺桶に抱きつくようにしがみ付いた しばらくして住職に「お父さん、さあ...○○さんを送ってあげましょう」と言われ、棺桶から手を離した 父親は幽霊の様にうなだれていた 私は、見ていられなくなり、焼き場の外に出た 送迎バスから煙突を見ると白い煙が天高く、どこまでも昇っていた 丁度私の娘が、私が親友を亡くした年と同い年に成った あの時、親友のお父さんが叫び泣いた気持ちを思うと胸がえぐられる思いだ 離れて暮らす娘だが、「今生きていてもらってる」事に「ありがとう」と呟く

代々生命の息づく山と大地

 昭和63年12月25日0時49分 「クリスマス」独身飲み会で、先輩、後輩、同僚で盛り上がっていた 「来年こそは彼女を作るぞ!」と男ばかりのむさくるしい風情だった なぜか、分からないが、店のママさんの進めで三角の帽子を皆被っていた メリークリスマス! そんな時に 「今、地面揺れなかったですか?」と後輩が真顔で言ってきた 「ハハハ…飲みすぎだろお前!!」 なんて言っていると、防災無線が流れて来た 「十勝岳火口から火砕流が確認されました…避難区域の世帯は直ちに避難して下さい」 酔いが醒めた 私は、タクシーに乗り実家へと急いだ 途中、警察や消防の車両とすれ違った 実家に着くと、父と母が居た何時でも避難出来る様に防寒着をソファーの上に置いてある 聞くと、祖父と祖母は高台の知り合いの家に避難したそうだ 防災無線が入るのを待つ 私は次第に酔いが醒めてきて少し頭が痛くなってきた しばらくして、火口から1kmの所で火砕流が止まった事が放送で流れた それからも、しばしば小噴火を繰り替えし3月5日まで、21回を記録した 令和8年6月18日 <十勝岳に火口周辺警報(噴火警戒レベル2、火口周辺規制)を発表>  十勝岳では火山活動が高まっており、62ー2火口から概ね1.5kmの範囲に影響を及ぼす噴火が発生する可能性があります。 <噴火警戒レベルを1(活火山であることに留意)から2(火口周辺規制)に引上げ> © 2026 気象庁 最近の十勝岳は噴煙も多く感じていた時だった 私は、山に向かい「どうか、被害が出ない噴火で収めて下さい」と願うばかりであった。

もう一つの私の顔

 私は、もう一つブログを書いている 「減塩」に関するブログだ 高血圧症の私が一念発起して、減塩調理や塩にまつわる話を書いている ブログは、このブログと共に毎日更新している 書き始めると、時間を忘れ没頭出来る事がいい 良かった出来事、悪かった出来事全て忘れて文章を綴ってしまう だから、最近の私の頭の中は「今日のブログは何を書こうか?」 そればかり考えてしまう でも、それが物凄く楽しい! 無音の部屋で、時間がゆっくり流れる中の至福の時間 キーボードの音だけが部屋に響く 瞑想にも似た自分と向き合う貴重な時間である。

ありがとうそしてこれからも

 今日、刈払機が止まった 昨日まで、順調に動いていたのだが突然止まった 稼動歴20年を考えれば、そろそろ限界かもしれない…そんな事を考えた とりあえず、その場でプラグを外して見た 何時も通り白く焼けており全く問題は無かった 「あぁ…こりゃ燃料系だな」 私は、機械を抱えて車庫へと向かった 作業台を開いて、刈払機を置く 燃料を全て抜き、ニトリル手袋をはく 下にはウエスを敷いてネジを外し、フィルター、キャブレターを外した 特にゴミとか砂は入って居ない様だが、キャブのフロートまでバラして パーツクリーナーで洗い流す フィルターは結構汚れていたので、灯油でもみ洗いをする 灯油が真っ黒に成る 「そろそろ、フィルターも交換かな?」 私は、外側ケースも丁寧に洗う 一通り洗い、拭き上げ組み立てる 燃料を入れ、リコイルスターターを引く ブルル__ブルル__ グインンンンン… 「掛かった!」 スロットルを開ける ビュンンン___ビュンンン____ 「良し!調子良いぞ!」 エンジンを止める ついでに、ヘッド部分のグリースアップをする 再びエンジンを掛ける ビュンンン___ビュンンン____ 先ほどより、鋭く鉄刃が回る 思わず笑顔が出てしまった 20年の相棒___私はエンジンを、ポンポンと叩いた。

祖父の火に包まれる極寒の朝

 北海道ー真冬_外気温ー18℃ 私が小学生の頃 家では、薪ストーブを使っていた 祖父が朝5時に火を入れる 祖父が丹前(たんぜん)を着てストーブの前に鎮座する 煙管(きせる)で一服しながら、薪を入れ新聞紙を丸めてマッチで火を点ける 私は眠たい目をこすりそれを見ている パチパチパチ最初は小さい炎がしだいに大きくなる ゴーーーー 煙突が真っ赤になる 吐く息が白い部屋が一気に温まる 煙草の匂い… 私は1回だけ、火を点けさせてもらったことがある しかし、何度やっても、薪には火が付かない 新聞紙だけが燃え尽きて終わってしまう 祖父がニコニコして新聞を入れ火を点ける 瞬く間に薪に火が燃え移る 私は、あんぐりした顔で祖父を見つめる 祖父は笑っている 凍れた白い窓ガラスが透明に成って行く 祖父と2人ストーブの前に並んで温まるー18℃の朝だった。

時の道/家族の道しるべ

 私の実家の小道には「黒松」が植えてある 祖父が植えたものだ 実家から畑の中を抜け大きい道路に続く小道 冬、吹雪きに成っても入り口が分かる様に植えたらしい このころ大きい道路にも街燈などは存在しなかった 祖父はこの「黒松」を自慢していた 「この辺りで、黒松が在る家はうちぐらいだ」と 「そうなんだ!」 子供の私が祖父にそう言うと、笑顔で頭を撫でてくれた 「お前が、大人に成るころはもっと立派な樹に成長してるさ…」 祖父は遠く景色を見る その黒松だが去年の大雪の時に折れてしまい 年を越して、枯れてしまった 私は、迷いに迷ったが、枯れた黒松にチエーンソーを入れた グィィィィィン… 木の切りくずが飛び散る 樹の切れる音が悲鳴の様にも聞こえて胸が痛かった 残り2本となった黒松 私は年輪を触りながら祖父を思い出したのだった。

Pulsarに歩んだ天才

 私は今年で58歳になる chet baker(チェット ベイカー) 彼のトランペットを聞くと何時も夢心地になる 甘く、切ない___そして闇と光の音 静かなリズムに、パルサーの様なエネルギーを秘めた曲がアルバムに燃え上る しかし、彼はどのアルバムにも満足していなかった 「心から、演奏していない」 「クールなプリンス」と持て囃され、類まれな才能と甘いマスクで一躍スターダムに駆け上がったが、繊細な心の彼は、日に日に精神不安定に成ってゆく 「ヘロイン」を耽溺する日々 1988年5月13日アムステルダムのホテルの窓から転落死、死因は分かっていない 享年58歳 「世界は、この日天才を失った」 彼が、傷つき、もがき、苦しみ、作曲した曲は、今でもキラキラと輝いている アルバムのジャケット写真で、彼が少し微笑んで少年の様な純粋な目で何かを見ている画像が、私は、大好きだ 不機嫌がトレードマークだった彼の心の奥を見た様だった 今夜も、目を瞑りchet bakerの「命の音」に抱かれる。

土に生きる人達/ドイツと富良野(小説:車輪の下思考)

 私は、今「車輪の下」(ヘルマン・ヘッセ著)を読んでいる 最近では、珍しくハマった1冊だ 今、半分ぐらい読んだ所だ なんと言っても、風景の表現のしかたが美しい 川や森、動物が生き生きと表現される所を何度も読み直してしまう 私が、ブログで書きたい技法そのものだ ドイツのジャガイモを食べる文化と此処富良野盆地と似ている気がする ページをめくる度に、色鮮やかに風景が見える ふと、窓に目をやると、ハンスが小道を歩いている様な気がした。

時流、未来へのバトン/受け継がれる遠足の記憶

今日は、 眩しい太陽が戻り草刈をしている アクセルを戻しエンジンを切る、草刈の手を緩めアスファルトの道路を見る 子供達が一列になって歩いている 遠足だろうか? 子供達の賑やかな声が畑にこだまする 元気をもらう 児童の一人がこちらに向かって、手を振りだすと、つられてみんなが手を振り出した 先生も手を振っている 私は、少し照れながら手を振った 昔、母とスーパーへ買い物に行った時の事を思い出した 「おやつは500円以内」 いや300円だったかもしれないが 遠足のお弁当のおかずとおやつを買いに行くときはそれはもうウキウキした 「お弁当のおかずは何がいいの?」 母の問いかけにも、おやつの事が頭に一杯で上の空だった 「新発売のお菓子」「以前食べた美味しいお菓子」「見た目が綺麗なお菓子」 どれにしようかな いろいろ選ぶと、上限額を越えてしまった 私は、何を諦めるか悩んでいた 母が来て「決まった?」と言った 「決められた値段を越えてしまうんだ」と母に言うと 「全部買ってしまいなさい、誰も金額なんて確かめ無いから」 私は、「罪悪感」と「嬉しさ」と半分半分で、お菓子を母の籠に入れた 母の意外な一言に驚いたが、こういう時の母は気前が良い 荷物を半分にして母と私と並んで家に帰る 帰ると、父が一人で草取りをしている 母も、食材を冷蔵庫にしまうと着替えて水田へ行った 祖母は花壇の草を取り、祖父は家の中でタバコをふかしていた 私は、明日の遠足のリュックを出し、おやつが入るか確認した 子供達の列が遠く成り見えなくなった あの、1人1人の心に私と同じ遠足のワクワクが在ると思うと、子供達と一緒に遠足している気分に成った 前日の家族の温かさ、当日のワクワク、小さな心に大きな幸せを運んだはずだ 私は、タオルで顔をぬぐい草刈り機のエンジンを掛けた

光/172.5メートル/モンジュイックの丘

 サグラダファミリア「イエスの塔」完成 ガウディ没後100年 2026年6月10日 除幕式、ミサ いつ完成するか誰も分からない、天才ガウディが人類に残した宿題「祈りの聖堂」 幼少期「リュウマチ」に苦しみ遊ぶこともままならなかったガウディの遊び場(小宇宙)は自宅の裏庭、そこで昆虫や植物を観察し続けた 「この世界は、なぜこんなふうに出来ているのだろう?」 ガウディの先生は「自然」だった 後に、ベジタリアンとなり自然療法を実践し病と闘った ガウディの信仰心は厚い物で、サグラダファミリアの建設に携わってから断食や節制を始める それが時に健康や命を脅かすほどだった 諸説あるが「イースターの断食」になぞらえ、イエスキリストの断食の苦しみを味わうため実行したらしい しかし、司祭から「あなたには、サグラダファミリア建設という神から与えられた重大な使命がある、ここで死ぬ事は神の御心に反する」と諭されたそうだ そんな、ガウディだが以外にも、サグラダファミリア建設前は「無神論者」だった 31歳の時、彼は初代建築家から引き継ぐ形でサグラダ・ファミリアの2代目建築家に就任した この聖堂は、当時のバルセロナで「人々の罪を償うための贖罪(しょくざい)聖堂」として計画されたものだ この巨大なプロジェクトの思想に深く向き合い、聖書の物語をどう建築で表現するかを何年も考え続けるうちに、ガウディ自身の心も徐々にカトリックの信仰へと塗り替えられていった ガウディの、内に秘めた熱さと、生まれながらの研究者だと言う事が強く分かる 今日のバルセロナの天候は雨、でも午後から回復するらしい 記念すべき「今日」をガウディは何と言って祝福するだろう?

ななかまど/燃え尽きない灯を

 6月8日月曜日、フィリピン大地震 私は、ニュース画面を見て凍り付いた 物凄い揺れと、人々の絶叫 一瞬で3.11を思い出した 6月9日火曜日、死者37名 400名以上けが こらからもっと被害が解明されて行くだろう 亡くなった方のご冥福とこれからの被害拡大が無い事を心より祈念する 日本のNGO各医療チームが動き出している 「日の丸」を背負い尊徳無しに活動する方々に頭が下がる 是非、日本人にしか出来ない救護とケアをお願いしたい マザー・テレサが言っていた、本当の不幸や悲しみは「誰にも愛されない事だ」と そして「どこの国にも、愛されない人が居ます」と 正に 今回の地震の被災された方々が本当に求めているのは「愛」なのでは無いか? 建物は直せば元どおりに成る しかし、人間の心はどうだろう? 我々が持つ「思いやり」が届く時 フィリピンの方々は生きる光を見出すだろう。

原風景/人情のある強かな暮らし

 幼い頃、祖母とよく買い物に行った 駄菓子屋(酒屋)で、10円ガムが買ってもらえるからだ その日も、祖母の買い物について行き「鮮魚店(魚屋)」へ行った その晩は来客があるらしく、お酒と刺身を買いに出た 店は、実家から歩いて15分ほどだ 水田が続く一本道を歩き、駅裏を通るすると商店街が現れる 最初は、酒屋に寄る、私はいつもの様に駄菓子を祖母にねだる 祖母は、一升瓶と10円ガムを買う 祖母が店の奥さんと話をしている___私は次に来た時に何を買おうか駄菓子をじーっと見る 「また来ますね」 「ありがとうございました」 次は、魚屋へ行く 祖母が平べったい竹ざるに入った、刺身を見て迷っている 少し上等なマグロが在るが、柵売りだ 祖母は店主に聞く「このマグロの柵を量り売りしてくれない?」 店主も困った顔で「んーー、奥さんこれ、今日のマグロで一番上等なんでこれ以上の切り売りは出来ないんですわ!!」 祖母が迷っている時に後ろから「奥さん?」女の人が声を掛けて来た 「奥さん?このマグロ私と半分にしません?」 そう話しかけて来た女性は見たことが無い人だった 私は、祖母のエプロンを掴み後ろへ隠れた 早速、店主に半分にして2つの包みにしてもらう そうして、2人は世間話をし始めた 私は、つまらなそうに竹ざるに入っている魚の名前を見ていた そうして、祖母と女性は財布を取り出しお金を渡しあっていた サンマ2匹が入った袋を女の人からもらった 祖母と帰路に着く 祖母は、風呂敷に包んだ一升瓶を重そうに肩から掛けて歩く 私は、魚の入った籠バッグを両手で持つて祖母の横を歩く 「あの人知り合いなの?」 「いや、全然知らない人」 「そうなんだ、ふーん__」 台所で割烹着を着た祖母が客人の食事(夕食)の支度をする 私は、祖母の後ろ姿を見ながら、空に成ったガムの箱の残り香を確かめた。

破れてもなお/begins again

 昨日は、北海道内陸も大風だった 花壇の花は折れ、アイビーを植えている鉢は吹っ飛ばされていた 「ごめんな…」と言いながら、風の中花とアイビーを片付けた 一番ひどかったのは「網戸」だ 風で飛ばされて木の枝にひっかかっていた 網は全て破れており、風に煽られてカタカタ音が鳴っていた 26年間自宅の大窓を守って来た網戸 思い起こせば色々在った この家で、子供が生まれて_______そして巣立って行った 当時エアコンの無い時代、窓を全開に開け外からの風を部屋いっぱいに取り込んで居た 網戸は、虫からわが子を守ってくれた それが今、無残にも破れてボロボロに成ってしまった 私は、網戸を木の枝からそっと外し、破れた部分を手で撫でる_____。 「すまなかった」私は謝った____。 しかし、救いは網戸の枠が少し曲がったぐらいで、自分で直せそうだ 網戸の網は自分で張替するつもりだ 私は、網戸の汚れを丁寧に拭き取り車庫にしまった。

レクイエム/2つの家紋

私の実家には、石倉が建っている 祖父が若かりし頃、建てたものの様だ 三角屋根で、2階に窓が1つ在るだけで、窓には鉄格子がはめ込まれてある 蔵の中は薄暗く、カビ臭い、中に仕舞ってある物にはどっさりと埃が積もっている 子供の頃、悪い事をするとよくこの蔵に閉じ込められた 中はヒンヤリして月の灯りが照らしていたのを覚えている 二階には、埃をかぶった「長持」がある その中には、漆器の盃とお椀が入っている、聞くところによるとお膳一式で20膳はあるらしい もう、長い間使われた形跡がない この蔵の石は、「札幌近郊の石切り場」から運んだらしい、普通なら近場の「美瑛」から運ぶのが主流だが祖父は札幌の石を取り寄せた 昔、祖母がこう言っていた「あの人は、お金を貯める事をしなかった人で、まぁ、地域やお寺に寄付したり、こんな石蔵まで作って…本当にバカ正直な人だった」 しかし、この蔵の妻壁には南と北側で違う家紋が掘られてある 一つは、勿論、実家の家紋、もう一つの家紋が謎だった 祖母に聞いても良く分からない様で...私は、親戚のおじいさん(祖父の弟)に聞いてみた すると_____以外な事が分かった この謎の家紋の持ち主をS氏と呼ぶ S氏は赤の他人らしい 北海道入植で同じ船に乗り、同じ場所に降り立ち、同じ土地を開墾した 当時は、こう言う事が珍しく無く、赤の他人でも兄弟以上の繋がりが在ったらしい 想像だが、このS氏と苦楽を共にし、血と汗を流し、光りも入らぬ森を開墾したのだろう この土地が、豊穣の土地になった時、どんなに嬉しかっただろうか しかし、S氏の家族は「結核」となり...家族全員が帰らぬ人と成った 空き家と成ったS氏の家屋に火を放ち、全てを燃やした、結核を広げないための当時の防疫だったそうだ …私は、口に手を当て話の余韻と共に絶句した 祖父は、どんな気持ちでこの炎を見続けたのだろう… 古びた外観の、しかし、凛と建つ石蔵を見上げる 家族の歴史が刻む石に思いを馳せる。

男の勲章と湯気の絆

 【11月:温泉】 11月農作業が全て終わり、家族で温泉に行くことに成った、山はもう白い薄化粧を始めた 車で20分ほどで温泉に着く 硫黄の匂いがする、それだけでワクワクした 祖父、父、私__無類の温泉好きだ! 早速、「男湯」の暖簾をくぐる 結構、混んでいる 私は、パッパッと服を脱ぎ、脱衣籠に放り込むと温泉に入るはやる気持ちを抑えきれないでいた 父が「おい!」と低い声で呼び止める 私は、裸のまま服をたたんだ 「ガラガラ」戸を開け、洗い場に3人並んだ 私が真ん中に挟まれている 体を洗う 横目で父を見ると、鏡を見ながら体を洗っている、私も真似をする 凄いのが、父の手術の痕だ 背中からお腹の方に向け「刀で切られた様な」痕が残る 横を通る人も2度見するぐらいだ しかし、父は全く動じない、むしろ涼しい顔をして、堂々としている そんな父が誇らしく感じた 祖父は、もう湯船に浸かっている 私は後を追うように祖父の横に入る… 何も話さないが、祖父の満足な顔を見るだけで私も笑顔になる 父が来た 「椅子にまだ石鹸がついていたぞ、最後まで流せ」と低い口調で言われた 「分かった、次から気を付ける」 父は、深いため息をついて、満足げに湯船に沈んだ 3人して、耳たぶが湯面に着くぐらい浸かる、これが私の実家流風呂の浸かり方だ 当然、話などしない でも、それでだけでいい、父と祖父がそばに居るだけで嬉しかった 風呂から上がり、休憩所で、祖父はビール、父は牛乳を飲み、私はモナカアイスを食べた 皆、笑顔だ...しばらくして、祖母と母も上がって来た 母が「いい湯だったね、疲れがとれるわ」そう言った その言葉を聞くと、なんか嬉しかった 祖母と母は持ってきたミカンを食べる 私は、家族の笑顔を見て、心からの湯気は冷める事が無かった。

戦友の心の美しさを知った時

前職の後輩にYと言う男が居た 私は、このYが大嫌いだった 私より1つ下の後輩で、背が高い ロン毛で、しかも顔がイケメン 社内の女性からは、モテモテだった 入社したての頃は、私が仕事の事で注意しても、上の空で聞いているよなそぶりだった 「____ムカつく」 それから、数年して結婚した…しかし2年で離婚した 内心「ざまー見ろ」そんな風に思って居た それから、数年して、違う部署に配属と成った Yはそれから、メキメキと頭角を現し私より偉くなった ____30歳を越えた頃、Yは「汎発性脱毛症」で全身の毛が抜け落ちてしまった 久しぶりに逢い、その容姿にビックリして「どうした?」と話しかけた ロビーの椅子に腰かけ話を聞いた 「あんなに優秀で美形なヤツがこうなってしまったのか…。」 それから、私生活での付き合いがちょくちょく始まり 食事や飲みにも行った Yの希望で、私の部署へ舞い戻って来た時はすでに「バツ2」だった 「先輩、俺って結婚向いてないんですかね」 「…。」 「まあ、そのうち良い事が在るって、前向きに行こうぜ」とは言った物の Yの心中は察するに痛かった それから、2人で修羅場を潜り抜けて来た、残業も何時間したか分からないほどだ ___それから歳月が光の様に流れ…私は定年となった Yが私を見送る時の代表で「万歳三唱」を買って出てくれた 「バンザーイ!__バンザーイ!__バンザーイ!__」 苦労した事が、走馬灯の様に心に浮かんだ 突然、Yが私にハグしてきた 「先輩、長い間お世話に成りました」耳元でそう言われた 私は、一気に涙と鼻水があふれ出しYを抱きしめた 「お前は最高の男だ、俺には敵わない」そう言った まさか、定年の日に、後輩に泣かされると思いもしなかった 今、Yは母親と2人で暮らしてる事を風のうわさで聞いた あの時2人で撮ったスマホの画像を見ると、少し目頭が熱くなる。

二人の園芸師

 今日も朝日から暑い 少し動くだけで額に汗がにじむ、それをタオルで拭う 今日は「垣根」の選定をしている 10年ほど、ほったらかしだったので、ぼうぼうだ 鋸と剪定鋏で枝を落として行く、汗が目に沁みる こうもぼうぼうだと骨が折れる ちょっとした細い枝も手で折る事は出来ない 一つ一つ鋸と鋏で仕上げて行く 休憩時間に成り、草むらにドサりと座り麦茶を飲む...美味い! 風が体を抜けて行く、あぁ生き返る…。 「コツコツコツ______コッコツコツ_____。」 姿は見えないが「クマゲラ」の音だ あぁ、もうそんな季節か___太陽を見上げる 右と左から交互に聞こえる 「コツコツコツ______コッコツコツ_____。」 まるで二人が会話している様だ 麦茶を、又、一口飲む 「そういえば…クマゲラは自分の嘴(くちばし)で穴を開けているが…あんな固い樹によく、穴を掘るものだ」と、ふと思った 私は、道具の鋸と鋏を見る 「あぁ、人間は道具が無ければ何も出来ないな…。」 私は、腰を上げ作業に戻る 私が鋸を引く音と、クマゲラの穴を掘る音が庭園にシンクロする。

神無月/風を読む父と母

 【10月:藁(わら)焼き】 米の収穫も終わり、水田の後かたずけが始まる 父に、マッチ箱を渡される 「…風下から点けれよ。」 今日は晴れているが、少し風が強い、水田一面に稲わらの匂いの風が吹く 「風下って、どっち?」 父は少し不機嫌そうに言った 「顔に風が当たる方を向いて__背中だ!」 一応納得して、風を確認したら、刈り倒された藁の一番端に行く 「マッチを無駄にするなよ。」と父に言われたので慎重に火を点ける 藁を少しホックで持ち上げ空洞を作る、その中でマッチを擦る これは、母から教わったやり方だ 白い煙が立ち炎が上がる 火の点いた藁をホックにひっかけ、風上に向かって、テン、テン、テンと火を点ける 一列目を上手く燃やせたので、少し得意気だった しかし父と母は次の水田にもう行っている___。 私も急いで火を点ける その時 風向きが変わった 風に煽られ、物凄い勢いで藁が燃え始める、火の粉も飛ぶ、他の藁にも火が付き、私の周りに火が走り取り囲まれた、物凄い熱さだ 父は、一目散に走って来て藁を蹴散らす 「ばかやろう!風下に逃げたら火に巻かれるぞ!」 私は、怒られて少しげんなりしたが 気を、取り直し「風向き」に注意しながら、藁を燃やした 結局その日は、辺りが暗くなるまで藁を燃やした 母に「もう家に入りなさい」と言われ裏玄関で長靴を脱いだ、白い靴下が真っ黒だった 窓から外を見ると、父が最後に煙が出ている藁の燃えかすを一つ一つ土を掛けて消していた 家族で夕食を取る、何時もと変わらぬ食事だが、私だけバツが悪い 私は、ある事を思い出して_食事の途中で_裏玄関に急いだ 私の作業着のポケットから_マッチ箱を取り出し_靴箱の上に そっと置いた。