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5月, 2026の投稿を表示しています

池のネット/黒い鳥の神話

烏(からす)が金魚を咥えてた 私は、ギヨッとして池の方へ走った 「金魚が少なくなっている」 「ちくしょう!やられた」 烏は金魚を飲み込み、高い樹のてっぺんに止まっている 私は、あたまにきて石を投げた 「ガァガァガァ…」飛び去って行く烏 私は、池の上にネットを張ることに決めた ピタッと地面に沿わして、池の上を覆った 「とりあえず、こんな物か…」 味をしめた烏は、又、やって来るだろう___。 去年までは、こんな事は無かった、去年近くで生まれた烏だろうか? 金魚達は何事も無かったかの様にネットの下を泳ぎ周る 「もう、喰われるなよ!」 私は、そう言った しばらくして、怒りも治まりさっきの事を思い出した 「さっきの烏は、私に警告していたのではないか?」 金魚を、わざと見せて「このままだと全部喰われちまうよ___。」と 言っていたのではないか? ノアの方舟でカラスが戻らなかったのは諸説あるが、「人間への警告」との意味もあるらしい。 八咫烏(やたがらす)も神武天皇の道案内をしている。 辺りを見ると烏の姿は無い 遠くで烏の鳴き声が聞こえた もし烏が人間の言葉を話すなら、彼は私に何と言うだろう? 炎天を頂き空を仰ぐ。

眠り続ける栄光と自転車

 【9.5月:稲刈】 実家の納屋には錆びてボロボロの自転車が一台ある 埃をかぶり、ロゴも色あせ読み取る事が出来ない 泥除けと荷台、ライトのメッキだった部分は茶色く成り光るメッキが所々にしかもう無い 後ろのウインカーは割れて配線が飛び出している そして、その横にはバイク用のハンドルが___立てかけてある 9月後半、稲刈りが始まる これもまた、家族総出の仕事だ 私の仕事は、コンバインの横に乗り籾(もみ)が出て来るのを袋に入れる作業だ 刈った稲の籾が出て来る金属の筒の所に袋をあてがい8分目ぐらいでレバーで一旦止める そして、新しい袋を付ける、レバーを戻し籾を入れる それが、5袋(一袋30kgくらい)になったら父に合図をする すると、畔で待つ祖父がトラクターでやって来て、米袋を納屋へ運ぶ 納屋には、祖母と母が居て袋をおろし、計量して30kgにする、そして袋の口を麻糸で縫う 稲刈りはほぼ一日で終わらすので、夜遅くまでこの作業が続く 稲刈りの夕飯は、おにぎり、味噌汁、漬物を納屋で食べる、父は刈り終わるまで食事はとらない 午後8時を過ぎると、私だけ家に戻り風呂に入り眠りに付く 夜、機械の音が子守歌の様に聞こえる「ゴーーーーッ、カタカタカタ…」 私がふと目を覚まし、台所へと行くと父が一人で食事をしていた 薄暗い台所に父の背中がポツンと在った____。 私が小学3年生の頃に、自転車を買ってもらった、ピカピカでウインカーが付いていて18段の「切替」が付いていた その年は、豊作だったらしく、家族みんなの顔がほころんでいた 私は毎日、自転車を磨いた 嬉しくて、嬉しくてたまらなかった____。 中学2年生に成り、私は親に自転車をねだった しかし、その頃、米の値段が暴落し、実家は水田をやめた 私はBMXが欲しかったが、買えるはずもなく 友達から譲ってもらったバイクのハンドル(出先不明)を自転車に付けてBMXに仕立てた あんなに大切にしていたのに、雑に扱う様になって、昔のピカピカの面影は何処にも無かった そのうち、「切替」も壊れて針金で固定した 私は、最近、通勤でマウンテンバイク(自転車)を使っている、休みの日は、フレームを磨き、チエーンに油を指す__そうワクワクしたあの頃の様に 父がこの自転車を捨てられずにいたのは、過去の米を作っていた時の栄光の思い出を捨てられない気持ちからだったであ...

In the mirror(鏡の中の少年)

 【私は夢の中】 第3章(最終夢) 木造校舎の窓から「赤い月」が廊下を照らす 時々、雲がかかり辺りが真っ暗になる 私は、廊下をただ進む 「ギシっ___ギシっ___」 辺りが真っ暗になり、足を止める …背中に気配を感じる、私は思い切って振り返った 月明りが戻って来る...。 薄っすら人影が見える、立つ姿は、微動だにしない やがてその人物が見覚えが在ることに気づく___しかし歯に物が詰まった様に思い出せない そして何かを話し始めた 「…東京はどっちですか?」そう聞こえた 私は「君は、東京に行くのか?」と尋ねた 月明りに少年の顔が浮かび上がる…そしてまた、闇が来る 「やめた方がいい、東京は草で『ぼうぼう』だった」 「いいえ、それは駅裏で東京ではありません…。」 私は叫んだ「君に東京の何が分かると言うのだ!!」 興奮して、少年を捕まえようとして手を突き出すと、大きな鏡だった 「ガシャン!!__キラキラキラ__」鏡は粉々に砕け散った 第3章(最終夢)END

無限∞に続く荒地

  【私は夢の中】 第2章 暗い道を歩いていた、辺りに灯りは見えず足元の白い所だけがかろうじて見える 「何処に続いてるのだろうか…」道なりにしか進みようがない 「ガタガタン___ガタガタン___」時折...遠くで汽車の音がする もう、どれぐらい歩いただろう...灯りが一つ見える 私は、駅裏に着いた 駅裏は、背丈ほどある葦(よし)や薄(すすき)でぼうぼうだ 「ガサッ___ガサッ___」掻きわけて、駅へと向かう、草に跳ね返されそうになる こ線橋の入り口を見つけ、ホームへ行く 「→東京」のプラットフォームに立つ ディーゼル音が響き、ドアが開いている汽車の中はまばゆい光で目がくらむ 汽車が加速していき、踏切の音と、線路を蹴る音だけが夜の中を走る 鈍行列車なのに何処の駅にも停車しない 「本当に東京までこの汽車は走るのか?」 切符を買っていない事に気づき、車掌と目を合わせない様にする 他に乗客が居ないので、車掌は私をじっと見ている しばらくして、「東京」の文字が見えた 車掌の姿は無く、私はホームに降りた 唖然とした 暗闇の中、一面が草っぱらで背丈あるほどの草でぼうぼうだった 私は振り返り、ホームの「東京」の文字をもう一度確認した 第2章(END)

漆黒のStranger

 【私は夢の中】 第1章 古めかしい、振り子時計を見ると、朝の8時だった ボーっとしている 母が言う「早く行かないと、遅刻するよ!」 ハッと我に返り「そうだ、時間割...」 探しても時間割が見つからない 慌てて、家を出る「ジャージを忘れたな…今日は体育が在りませんように」 ママチャリを必死でこぐ 「あれ?」何時も行く高校への道と違う 此処は何処だろう? 必死に道を思い出そうとするが、思い出せない あせる…あきらめモードで「何と言い訳しようか?」と考え始める 学校に着いた、誰もいない 「今日は、休校日なのか?」少しホッとする でも、入り口が開いている 私は、中に入ると暗い廊下が、見えない先まで続く ふと、人影が見えた「先生?」と声をかけた 暗闇から顔が現れ、見知らぬ顔に「ギョッ」とした 「君は、東京に行くのか?」突然聞かれた 唖然として、しばらくの間が在った 「一応、東京で仕事をしようかと...。」 「君に東京の何が分かると言うのだ!!」と、強い口調で言われた 私は、口をパクパクさせたが言葉が出なかった 「あなた...あなたは誰ですか!!」と叫んだ 目を反らし外を見ると、漆黒の夜だった。 第1章(END)

炎/天に向かって全てを投げ打つ

 【9月:早霜】 凍てつく朝、こっそりと茶の間に歩いてゆく 音を立てない様に、木の廊下を慎重に歩く 昨晩は、早霜が降り父も母も一晩中、古タイヤを燃やしていた 暗闇に、畔に並べられた、タイヤに次々と火を点けて行く 私は窓越しに、暗闇を見つめる__ときおり、父の黒い影が見える 太陽が昇るまでの勝負だ 此処で稲を凍らしてしまったら、1年の苦労が全て無に成る、無論収入もゼロだ あと、もう少しで収穫なのに、気まぐれだ 自然の前では人間なんて、なんと微々たる物か しかし、父と母は食い下がる…ラックを着て、毛糸の帽子をかぶり一晩中火を灯し続ける 暗闇に燃える火は、父と母のそして家族の生きる執念の炎だ 天まで昇る、赤い炎と黒い煙 日が昇る 父と母は煤で真っ黒だ 父は、タオルを口から外すと、真っ黒い顔で笑った 私の登校時間には二人とも、深い眠りに入っていた 父と母は全てを守りきった…。 学校から帰ると、私は、裏玄関の父と母の長靴の中の土と草を手を入れて取り、揃えて置いた。

命を掛ける男たち

 祖父と父は相撲が大好きだ 普段、寡黙な二人だが相撲を見ている時だけは声を上げる 「よし!」__「いいぞ!」__「がんばれ!」__。 それなので、夕食の時はテレビを消すことが無かった私の実家 祖母はよく私だけにこう言った「テレビを見ながら食べるのは行儀の悪い事だからね」と それでも、祖父と父は夕食を食べながら相撲に夢中だった 母が言う「早く食べて下さい。」 令和8年5月24日千秋楽 若隆景VS霧島 優勝決定戦にもつれ込んだ 緊迫する国技館の空気、両力士の眼光からも命がけで勝負に挑むオーラが伝わって来る 「待った無し!」 国技館が静寂に包まれる 両者が両手を付く 「ドスン!!!」激しくぶつかる音 「のこった__のこつた、のこった!!!」 逃げも、変化も無いガチンコ勝負だ 両者は死に物狂いで戦う わずかに、若隆景が優勢で勝った 私は、手を叩き涙をぬぐった 敗者と勝者、残酷だが__これが勝負の世界、私はテレビ画面の霧島にも拍手を送った 「よくやった!」 天を仰ぐ若隆景、目が潤んでいる様にも見えた___。 インタビューで「子供達との約束(優勝してね)を果たすことが出来た」と言っていた 後日ニュースで若隆景の父がこう言っていた「4年間は、長かっただろう、しかし負けて終わる性格ではないと信じてた」と___。 家族の思いにも胸が熱くなる 「兄弟パレード」本当に良かった__本当に良かった、私も嬉しい 祖父、父、私__この3人でこの優勝決定戦を見ていたら、どうなっていただろう? 私は山を見上げた。

父の背中と夕暮れと

 【8月:稲の穂/戦う者の詩】 地面が焼ける季節も落ち着き、稲は「出穂」する 月初めには、賑やかななお祭りが在り、お盆へと季節は移ろう 秋の足音がそこまで来ている、ときおりキリギリスや鈴虫が鳴く 水戸を閉め、水田から水が無くなる 稲は1日だけ花を咲かせる(受粉)、この日が穏やかだと沢山の米を結ぶ この時の花は本当に神秘的で美しい 4㎜ほどの、小さな__小さな粒に、農家は命を掛ける 墓参りの休日が終わると、畔の草刈がまた始まる ある日、父が夕方に、タオルを首から下げて水田を見る 稲が風にそよぎ、「ありがとう」とサラサラ揺れ始める 蛙と秋の虫の合唱が始まる___父の白シャツも茜色に染まる 其処には、戦う者の後ろ姿が在った

軍人を越えた永井師団長の熱き思い「この土地と人々を死なせない」

2026年(令和8年) 5月24日(日) 山から吹き下ろす風が強い ビュー_ビュー__牧草のが波立つ 今日は、町で追悼式(慰霊祭)が在る 忘れられない「5月24日」___144柱の魂に祈りを込める しかしその陰に、第七(しち)師団長=永井来蔵(ながい らいぞう)を忘れてはいけない 【「精鋭」と呼ばれた第七師団】 旭川を拠点とした第七師団は、北海道の厳しい寒さの中で訓練を積んだ「雪中の精鋭」として知られている   明治37年(1904年)の日露戦争では、激戦地として名高い「二〇三高地」の攻撃に加わり、多大な犠牲を出しながらも勇猛果敢に戦った 上富良野の入植者たちにとっても、第七師団は最も身近な軍隊でした。徴兵検査を受け、旭川の師団に入隊することは、当時の青年たちにとって避けては通れない、そして名誉な義務と考えられていた時代だった 「軍馬」を育てるため、上富良野では馬の生産が盛んになった、そして 兵士たちが食べる米や、馬の餌となるエンバクなどの作物を旭川へ供給することで、開拓間もない上富良野の農家にとって貴重な現金収入源となっていた 町内にある神社や記念碑には、第七師団の一員として戦地に赴き、命を落とした方々の名前が刻まれている 【1926年(大正15年)5月24日(月)】 噴火の知らせを受けた永井師団長は、即座に救援部隊の派遣を決定した。当時は現在のような高度な通信網もヘリコプターもない。それでも、旭川から上富良野へ向けて工兵隊や衛生隊を次々と送り込んだ判断力は、まさに「地域の守護神」としての自覚があったからだ。 永井師団長自身も現地を視察し、悲惨な状況にある被災者を励ました、そして、師団長が「復興を支援する」という強い姿勢を見せたことで、絶望して離農を考えていた多くの入植者たちが、「もう一度この土地で頑張ろう」と踏みとどまる大きな精神的支えになった 今、私たちが上富良野の美しい風景を楽しんだり、美味しい農産物を食べたりできるのは、100年前の未曾有の危機に際して、 「見捨てずに助ける」と決断した当時の師団長や兵士たち 、そしてそれに応えて 泥の中から立ち上がった入植者たち の絆があったからだ 上富良野の人々にとって、第七師団は「息子たちが送られる場所」であると同時に、災害時には助けに来てくれる、非常に距離の近い存在だったはずだ 祖母が生き抜き、永井師団長が決...

あえて語らない父の思い

 【7月:農薬散布/成長する稲と私の心】 30Cmほどに成長した稲は、萌黄色から濃い緑に変る 相変わらずの草取りは続く 7月は、病気、害虫予防に農薬を撒く 父が機械を背負い、母が水田の反対側でホースの様な筒を引っ張る ヴぃぃぃん__エンジンの送風により、ホースに空いた穴から農薬が散布される この時ばかりは手伝いはさせてくれない、むしろ近づくと怒られるぐらいだ 父も母も重装備で、肌に農薬が付着しない様に、頭の先からつま先まで密閉状態だ まるで、タイベックススーツを着ている様だった、無論ゴーグルもマスクも装着する 作業小屋で、服を着替える父と母、服が汗で濡れて体に貼りついている 父のうなじと太い腕は日に焼けて真っ黒だ 手ぬぐいで顔を拭くと、薬缶に入った麦茶を、喉を鳴らしながら一気に飲む 汚れた服を運ぶのを手伝う この日は私が風呂を沸かす___農薬を撒いた日の夕食は必ずソーメンだった 父と母は明日からまた草取りだ 私は、父に「なぜ農業をするのか」聞いた事がある 父は少し微笑み答えなかった 今日は晴れ7月の陽気だ、外で仕事をすると汗が流れる 風に吹かれ、眩しい太陽を見上げると、父の答えが返って来るような気がした。

草が詠う

 草が詠う 「風が吹けば、吹かれれば良い」 「雨が降れば、雨に濡れれば良い」 タンポポの綿毛は天高くどこまでも飛んで行く、そして子孫を増やす 葉のしずくは大河となり海へ帰って行く 先祖が耕したこの土地で育ち、そして土に返る それで良い、それで良い。

強さと優しさと...。

 6月は運動会 必ず家族が見に来てくれた、母は朝からお弁当を手作りする 私の大好物は、「ポークチャップ」だつた、これを皆で食べられるのが幸せだった。 口の周りがケチャップだらけになる、皆笑う...。 徒競走は毎年「びり」だ しかし、家族は「去年より速くなったな。」と言ってくれる、照れ笑いをする 「もっと、足が速くなりたい!」と思ったが6年間はあっと言う間だった。 【6月:地獄の草取り】 農家の仕事で一番嫌いな季節がやってくる 除草剤、農薬も使うが、90%は手で草を取る 父と母は朝4時に起きて草を取る、水田は朝日を浴びてキラキラ光る 苗はまだ「ちょこんと」水面から顔を出しているだけだ___ ___朝のひと仕事を終え、07:30家族税員で朝食を取る 裏玄関の土間のテーブルに集まり、黙々と食べる。 私も、土日は手伝いに駆り出された 水田用長靴(普通より長く足にピッタリしていて脹脛上あたりでバンドを締める)を履く 腰に袋(籠みたいな袋⦅名称不明⦆)を付ける ズブズブ...水田に足を入れると膝近くまで一機に沈む、バランスをとらないと、顔面から水没だ 転ばない様に一歩一歩前へ足を運ぶ 気が付くと、父と母はもう遥か彼方に居る、子供の私でも30分もかがんでいると腰が痛く成る あらためて、来る日も来る日もこの姿勢で働き続ける両親の強健さに脱帽する 小昼、休憩時間だ 泥だらけの足を投げ出し、畔にドサッと座り込む 母が、あんぱんと三ツ矢サイダーを持って来る あんぱんをサイダーで流し込む...「あぁ、美味い!」 蛙の声と水戸のせせらぎが心地良い ふと見上げれば十勝岳連峰が青い ___しばらくして父が立ち上がる 袋を腰に付け、誰よりも早く水田の中へ戻る 私も、父の背中を追い水田の中へ入る 感謝と言う言葉では語れないが、疲れた体を奮い立たせて、6年間運動会に来てくれた事に深く頭を下げる。

失ったおむすび/神へ祈る米

祖母の炊いた羽釜ごはん、それより旨い飯を食べた事が無い 祖母がこの家に嫁いでから毎日、1升の米を朝5時から炊いた、春夏秋冬薪を外の小屋から炊事場へ運ぶ...。 ((祖母から教わった米のとぎ方)) 最初の3回は釜一杯に水を入れ、混ぜる様に手早くとぎ、とぎ汁を切る そして、ひたひたの少ない水でとぐ、水が透明になるまで何度も水を入れ替える 祖母は、炊くときの水加減を長年の目見当でしていたので詳しい量は覚えていない 祖母が竈に火を入れると、だんだんと米の甘い匂いがしてくる ごはんが炊けるのが待ち遠しかった 炊き立てのご飯を「塩むすび」にしてくれる ハフハフ、パクリ...熱い! 祖母と私が笑顔で見つめあう 時が流れて____ _____ガス炊飯器、電気炊飯器...祖母の炊いた米を食べる事は無くなった。 【5月:田植え/家族の絆】 5月になると、部落で「春祭り」を行う 田植え前に、村の神主に祝詞をあげてもらい、道祖神に、お参りをする 皆、手を合わせ安全と豊作を祈願する それから、水源池と用水路の掃除をする それが終わると会館でジンギスカンで宴が始まる、子供の頃は何度かご相伴に預かった 父は1滴も酒は飲まない 畔の修理をする(ねずみや蛇が穴を開けて巣を作るため、そこから水が漏れる) 水戸を開く こぽこぽこぽ…水が流れ始める…いつ聞いても良い音だ 水田が命を吹き返す、鏡の様な水面がまぶしい 蛙達が沁みる様に鳴く 「代搔き」をする。父がトラクターでロータリーをかける 泥が飛び散り、全身泥だらけになる、それを一日中やる その日は、早めに風呂に入る 「田植え」父が田植え機に乗り植える、私と母はパレットをトラクターに乗せる 祖父がトラクターで苗を運ぶ、祖母はハウスでパレットを外に出す 家族総出が何日か続く 私も、遊びに行く暇も無かった 田植えが終わり、家族皆で温泉に行く…1年で一回の家族旅行だ 祖父は酒を飲み上機嫌だ...特に話し合う事も無いが、皆の笑顔だけで幸せだった。 今日は晴れ、牧草の緑が風になびくのを見ると、水戸の音と蛙の声が聞こえて来るような気がする。

父の米を味わうあの日

 米を買いにスパーへ行く 私は「ゆめぴりか」一択だ…しかし値段が上がったままだ 「北海道米は猫も食わない」と言われていた時代が在った この米は、北海道米農家の夢そのものだ ____私の父も米農家だった 米農家の1年(実家)を何回かに分けて紹介したい 【3月:凍える寒さの中での始動】 ビニールハウス(以下ハウス)を準備するための、雪かきから始まる まだ、雪の残る中半袖で雪かきをする父、除雪機など無かった 4棟のハウスを準備する ビニールを張る、結構な重さだ、これを皺がよらない様にクリップとハウスバンドで止めていく この時に緩く止めると父に怒られた 土の準備 パレットに入れる土を作る為に、ハウス内の土を乾燥させる ハウスに入ると土の香りにむせかえる 気温が上がれば内側の水滴が雨みたいに落ちて来る 乾燥した土を、回転する「ふるいの機械」に入れて行く、すると細かい土が下に落ちる それをハウスの中に10山ぐらい作る ハウスを出ると温度差で、風邪を引きそうになる 種もみの準備 種もみ(稲の種)を、10トンぐらい入る水槽の中に漬ける(1週間ぐらい)その水も綺麗な水を使わないともみが腐ってしまう 水に沈んだもみだけ使う、2~3割のもみが使えない その水は、手が切れるほど冷たかった 【4月:命を育む、家族の総力戦】 稲の苗(以下苗)を育てるパレットをハウスに運ぶ 父がトラクターで納屋から運び、残りの家族でパレットを持ち上げハウスの中に運び入れる(1棟100枚ほど) 黙々と運ぶ ハウスの中にもみまき機械を入れて、パレットにもみを蒔く 土は手作業で入れる 発芽するまで、さらにビニールシート(薄くて透明、で多孔質)で覆う それから、朝、昼、夕...毎日、張りつめた、温度管理と水やりが続く ____しばらくして、手塩にかけた、「緑の命」が一斉に芽吹く、絨毯の様に綺麗で光っている 父はその時初めて「笑顔」を見せる 「…まずまずだな」ぽつりと言う 5月には、田植えが始まる_____。(続く)

斜面舞踏会

 今日は曇り、低気通過のせいか雲は空の高い所を流れ、暖かい風が頬を撫でる 今日の仕事は草刈だ、草の伸びるのが早い事...人間も負ける生命力だ たんぽぽ、牧草、イグサ、_____東京のスクランブル交差点並みに密集している 刈払機の丸刃の取り付けを点検する、これが緩むと命取りだ 周りを確認して、チョークを引き、リコイルスタターを引く __エンジン一発始動 自分で言うのも何だが、整備をきちんとしていると、機械は応えてくれる __草を刈り始める、斜面の一番下から刈っていく 草の匂いが、排気ガスの匂いと混じる 私は、必ず斜面は一番低い所から刈って行く、そうする事で草が塊になり刃に絡む事が少なくなるからだ 草に恨みは無いが、根こそぎ刈り払う、草の植生を感じてアクセルを調節する。 段々とリズムに乗って来る。 私には、草刈のステップがある 足は、肩幅に開いて、一歩踏み出す時は 「両足を一度揃える」 、そう、スキーの 「シュテムターン」 をする時見たいに足を引き付ける これをする事で、斜面での転倒確率が格段に減る 一歩では無く半歩づつ前へ刈進む 1・2・3、1・2・3、ラッタタ、ラッタタ... リズムに乗るが、周りへの注意は怠らない、安全第一だ 私は、機械とダンスを踊る 休憩時間に成り、刈払機を肩から下す 頑張ってくれた刈払機は日陰へ、私は斜面にドサッと尻をつき水筒の麦茶を飲む 風が吹き抜けて、草の香り…気持ちが良い 刈った斜面を眺める…。 「よし!」気合を入れて再びエンジンを掛ける __相棒の手を取りダンスを始める。

祈り/煙の道しるべ

天候は晴れ、山には雲がかかっているが、時折山の麓に光が射す。 今日は、祖母の法事だ…あれから7年早いものだ。 花を買い御仏前に供える、線香の匂いも久しぶりだ。 近くに住むが、こうやって手を合わせる機会は少ない…。 親戚(Kおばさん)が到着し、話が弾む。 「ひさしぶりだね、元気だった?」変わらぬ声に安心する。 大住職が到着...と思いきや...車で逆戻り「忘れ物か?」 11:00時、大住職再び到着、「申し訳ない、玄関に準備していたのに忘れ物をした。」 午前中に葬儀が在り…バタついていた様だ、苦笑しながら袈裟を纏う。 大住職は、何時もの様に世間話をして、恭しく経典を仏前に置く...そして読経に入った…おりんが響く、「大住職も、歳をとったな…」後ろ姿を見つめる。 静寂の中、線香の煙の行方を目で追う、遺影の祖母がこちらを見る。 「ばあちゃん、煙はそこまで届いたかい?」と深く手を合わせる。

藤井聡太先生に魅せられて

 初心者用将棋の本を買った、藤井聡太先生監修の本を選んだ。 その本はマンガと絵で分かりやすく解説しており、小学生でも学べる本だ。 私は、将棋には全く興味が無く駒の動かし方も知らない。 ある日、NHKで将棋の対戦を見た、藤井聡太先生の対局をやっていた。 対局のタイトルは覚えて居ないが、その内容にビックリした。 王手を掛けられて、逃げる藤井先生...なんと敵陣まで王を移動させて居る。 こんな将棋は見たことが無い。(そもそも見る事は無かった。) 将棋のルールが分からない私にも、その破天荒な戦法が凄いと思えた。 「将棋って、こんなに自由なのか…。」 将棋に対するイメージが変わった。 本を開き、藤井先生の言葉を見る「将棋は誰でも、誰とでも遊ぶ事が出来ます。」 なるほど...。 駒の動かし方、対局の進め方、勝つ作戦...。 読み進めれば、将棋が楽しい物に感じて来た。 スマホに将棋のアプリを入れ、対戦する。 難易度「初心者」でプレーするが、勝てない…くやしい。 本を見ながら、駒の打ち方を考える、すると相手(コンピュター)が私の何処を狙って来るのか少しづつ分かる様に成った。 わたしの癖からすると、振り飛車よりも居飛車の方が向いていると気付いた。 負ける事、数十回...。 「初の1勝目を挙げた。」 「よっしゃ!」 嬉しくて思わず叫んでしまった。 「あぁ…これが楽しいんだな…。」そう思うと、小学生時代の将棋好きな友達が思い出された。 時間が巻き戻せるのなら、もう一度あの頃に戻りたい。 今、その同級生と将棋で対戦したら、彼は何と言うだろう? 雲雀(ひばり)がさえずる、初夏の空、本を何度も読み返し、「今度は中級レベルに挑戦だと、老眼鏡を指で上げる。」

何かやらなきゃ/夜道のら・ら・ら

 私は、宴会の行き帰りは必ず歩いて行く。 雨が降っても、吹雪いても徒歩だ。 まぁ、お酒を飲むからもあるが、普段、車で移動ばかりしているので散歩がてら、ブラブラと歩いて行く…20~30分ぐらい歩く。 いつも通る住宅街を歩くと、今まで気付かなかった風景が目に飛び込む。 「あれ?この家いつ建てたんだろう?」 「此処の家は犬を飼ってたあずなのに...。」 「あぁ、車が1台増えている。」 「此処の家、今年は花壇を作っていたよな?」 「…。」 あと、歩いてる時にスマホで曲を聴く、道民の星「大黒摩季」さんだ。 「ら・ら・ら」が特に好きだ。 呑んだ帰り道は必ず何回もリピートして聞く。 大黒摩季さんの泥臭い歌詞の一言一言が心に刺さる。 良い年のおじさんが歌を口ずさみながら、目をうるうるさせているなんて滑稽な光景だと思う、しかし酔うとこの曲が聞きたくなる。 今も、ブログを聞きながら「ら・ら・ら」を聞いている。 「何かやらなきゃ、誰にも逢えない…。」大黒さんの魂の声が私を後押ししてくれる。

限られた時間/不得意な勉強

 現在、「2級ボイラー技士」の勉強中だ。 今年の、1月から少しづつ勉強しているが、ぜんぜん進まない。 ボイラーの構造、仕組み、種類の項目をまだやっている、理解するのが難しい。 結局テキストだけじゃ分からない所も在るのでyoutubeを見ながらテキストを見る。 7月に旭川で試験があるが、絶対に勉強が間に合わない。 まぁ、来年までの宿題か?と思いながら、のらりくらりと勉強する。 以前に危険物の「乙4」を取得した時の勉強に比べれば楽勝かなと思ったが…甘かった。 でも、まぁ良い…勉強した動機が「残りの人生の時間を無駄にしたくない」だからだ。 資格を取る事よりも目標に向かって何かをする...それが私の「心の肥料」だ。 今日は快晴、気温もぐんと上がって汗ばむほどだ。 山の噴煙のたなびきを見ながら、テキストをパラパラとめくる。

プロフェッショナル集団の覚悟

 今日は、注意喚起が流れて来た。違う部署で、草刈中に飛び石をして、一般車両のガラスを割ってしまった様だ。 「明日は我が身」気が引き締まる思いがした。 仕事に取り掛かる前に、こう心に刻む「何時もと違う、今日」「無心・集中」 同じ仕事をしていても毎日は必ず細かい違いが起きる、それを感知して修正するのがプロの仕事だ。 しかし プロでもマンネリ化する...。今日の業務事故は、私より年上の先輩で、プロ中のプロだ。 「マンネリ」とは「考える事を省く」と言う一瞬のミスではないか? 「何時もと変わらずにやる。」も大事だが、そこに「甘さ」が並ぶと私の様に怪我をしてしまう。 こう言う事を少しずつ減らして行って、無事故である事が地域の信頼を経る組織に成る事だと思う。 今日はにわか雨、路面が濡れている、いつもより注意して作業にあたろう。

祖母の言葉を心に染めて/べっ甲櫛

 今日は晴れ、十勝岳連峰が綺麗に一望できる...今日も綺麗だ。 私が小学生ぐらいの時、櫛を拾った、べっ甲模様で綺麗なコームの櫛だった。 私は喜んでそれを拾い家路を急いだ。 奥の台所に祖母が居た、私はランドセルも下さず、それを祖母に見せた 振り返った祖母の...意外な一言に驚いた。 「その櫛を元の在った場所に置いてきなさい...」 「?」なんで? 台所で昼食の後かたずけしながら、祖母はこう言った。 「前の人が身に着けていた物は、その人の厄も一緒に拾うんだよ...だから何でも拾ってはいけないんだよ...。」 「それじゃ、僕も不幸に成るの?」 「そのまま持っていたらね…必ず厄がつくんだよ…。」 私は、怖くなり元在った場所に走り出そうとしていた。 すると祖母が言った、「元の場所に置く時に後ろに放り投げなさい、そして振り返らずに帰っておいで...」 私の同僚が社員旅行の時に温泉で腕時計を取られた事が在る、ロッカーに入れれば良かったものを、脱衣かごにそのまま入れていたらしい。 「ちくしょう、やられた!」…警察沙汰にはしなかったが、いい勉強に成っただろう。 私はその時心の中で「厄も盗まれたな…」とつぶやいた。

剥離骨折で得た物

今日は、小さな事でいざこざが在った。  去年右足を剥離骨折した、7月だった。 坂で、機械を使っていてブレーキが外れ私に向かって来た、私は機械を止めようとしたが 140Kg在る機械が止まるはずもなく、その時に負傷した。 「注意1秒、怪我一生」そのとおりだった。 結局は不注意だ。 労災は下りたが、しばらく足は痛かった。 一週間ほど休んだ、本当に同僚や上司に迷惑をかけた、折り菓子を持ち、各部署で頭を下げた。 復帰して一週間、今度は義母が亡くなった…正座が出来ない私は椅子に座り納棺に立ち会った...。 49日、納骨をする為に5時間かけて、義母の生まれ故郷まで車を運転した、その頃には私の足も大分回復した。 結局まともに歩ける様に成るには、半年かかった。 今こうして普通に働いている事に感謝する、何気ない動作をする時に、ふと去年の痛みが蘇る。 あの痛みを知っているから。 今日あった「小さなこと」も、今の健康と日々の営みの前では、静かに消えていく。 ハッと気づくと、山が見下ろしていた。

介護職員初任者研修/雲のゆくえ

 今から3年前、介護職員初任者研修受け介護施設で働くつもりだったが、諸事情で断念する事に成った。 まだ、コロナウイルス全盛期の時代だった。 今は全く違う仕事をしている。 目を瞑ると、あの頃の学友達の顔が思い出される。 色々な職種の人が集まり、名前も分からない所から始まった、初日の自己紹介などは緊張して何を話しているか分からないほどだった。 始めて聞く介護用語に戸惑いながらも、介護する者の心構えや知識、介護の歴史、介護の実践を学んだ、先生方も皆、介護施設で働いた経験があり「百選練磨」の方ばかりで、教科書には無い「ノウハウ」や「裏話」まで教えて頂いた、本当に良い先生方々だった。 私達は、座学と実習を重ね…成長し、皆、打解けて行った。 …終了試験を受け、全員が合格、卒業式の日に最後の挨拶を一人一人行った。 中には大号泣して、皆に感謝している学友が何人も居た。(私と同じ年の男性) 思わず、私ももらい泣きしそうになった。 私が介護の道を目指したのは、やはり祖母が居たからではないか? 祖母が亡くなった時の後悔を埋める為に、歩みだしたのかもしれない。 勉強している最中も祖母の事が頭をよぎり切なくなる。 「あぁ…祖母はあの時こう感じていたのだな…。」 学友達も祖父母の事や、親、兄弟の事に思いを馳せながら学んで居たに違いない。 今日は晴れ、清々しい青空だ、ちぎれた雲がくっつくいたり離れたりしている。

父の書棚/私の書棚

今日は小雨、絶好の読書日和だ。 数冊、本をめくる。 「今日はどれを読もうか。」 スマホの着信音が鳴る、今日のニュースの知らせだ。 「…戦争は昇降状態か…。」でも終結していない事に変わりは無い。 「喧嘩」の巨大化したものが「戦争」だと思う「憎しみ、やったらやり返す…。」 「自分はどうだろうか…?」怒りに身震いする時に果たして解決出来るのだろうか? つまらない、小さな事にも腹が立つ事が在る…、しかし答えは、無い。 時間が経って忘れる…それしか無い、では、時間が経っても忘れられない怒りはどうするのか? 私の父が「本を読め。」と言ったのは「自分を探せ。」と言う意味ではなかったのか? 人生に教科書などない、在るとすれば本を読んで影響を受け、自分の心や考え方を少しづつ作って行く…そう思える。 父の仕事部屋にも、本がたくさん在る、この量を本当に読んだのかと思うと唖然とする。 父は中学卒業後、稼業の農業を継いだ…、この本が物語る、「父はもっと勉強がしたかったのではないか?」「中卒に負い目を感じていたのではないか?」 雨だれの音を聞きながら、コーヒーを啜りながらページを捲る。 時が私に豊かな時間をくれる。

ただ一輪、ここに在ること

 チューリップが咲いて今年も顔を合わせる。 今日は小雨、降ったり止んだり… 花壇に花が濡れている。 誰が植えたか分からないチューリップ、花は固く閉ざしている。 「私はここに居ます。」赤い花が草陰から私に語り掛ける。 「私は、君を見ているよ、今年も咲いてくれてありがとう。」 私は思う、こんな日陰に咲いても、見てくれる人は必ず居る…。 傷つけないように、周りの草をむしった。

連鎖する記憶

 鉛色の空…しかし風は暖かい、山のコントラストが白から黒へ変わってゆく。 「うわっ!」 落ち葉の掃き溜めの方から子供の声がした、何事かと急ぐ。 「どうした?」 「…。」 「鳥が死んでる。」 子供達がそろりそろりと近づくと、鳥は飛んで行く。 ビックリする子供の後に卵が残っていた。 「親鳥が巣を守っていたんだな…。」 子供達は足早に立ち去って行った。 私も、似たような記憶が在る…。 家の軒先にスズメの巣を見つけ、梯子をかけて巣の中に手を入れる 暖かい生まれたばかりの雛が掌に乗る、その感触がなぜか嬉しかった。 しばらく、雛を観察して巣に戻した。 次の日、私はまた、あの温もりを求めて巣に手を入れた。 指先に触れた雛は、冷たくなっていた。 私は、弾かれたように手を引っ込めた。 急いで家の中に駆け込み、布団にくるまった、 怖くて、怖くて、仕方がなかった。 昼下り、ひばりが鳴いて私は振り返った。

読書と大地と

《読書とは人との出会いである。》  ゴールデンウイーク中に読もうと思ている本が在る。 しかしまだ、1ページ目しか読んでいない。 私の悪い癖で、読んで分からない事が在るとそれを調べないと次に進めない。 それなので、まだ読んでいない本が4~5冊在る。 1.本を読め。 2.箸は正しく使え。 3.開けた戸は最後まで閉めろ。 この3つの言葉は父からの贈り物だ、これ以外、注意された事が無い。 普段、温厚で無口な父が唯一、私を戒めた言葉だ、今でもこの3つを心に刻み生きている。 本を読む習慣は父がくれた、本当にありがたい。 今でも年間10冊ぐらいは読んでいる。 フーコーの本を購入したが、そのフーコーの人物像を調べている段階で「ドストエフスキー」と言う名が出て来る、彼(フーコー)の著書にも何度も出て来る名だ。興味が湧きドストエフスキーを調べ始めた、そして、彼(ドストエフスキー)の著書をKindleで読んでいる状況だ、更にドストエフスキーの生きた時代のロシアの歴史を紐解いている。 本編を読み出すのが何時に成るか全く分からない。 ドストエフスキー私はこの人が好きだ、一言で言えば「泥臭い人」思想家で在ると同時に神や魂を重んじる、どこか日本人の死生観に通じる考えを持ってる人だ。 当時のロシアが貴族中心政治から社会主義への変革を猛反対した人の一人だ。 「100年後に私と同じ考えの者が現れるかもしれない。」そんな一縷の望みを推進力に当時の社会主義の大波に向かい書き続けた…そんな人だ。 私が好きな一節にこんなのがある「社会主義に魂を売り渡し神を冒涜して生きる姿はもはや人間では無い!…人間を数式や論理で割り切れると思うな!」 150年前の過去から「いったい何を信じて生きているんだい?」と問いかけて来る。 富良野盆地、畑の新緑が風をいなしてすくっと立っている。私は、祖母や父の言葉を胸に今日も生きている。

いつか父に、届くなら

 「井の中の蛙大海を知らず」「されど、空の青さを知る」 今日は、昨日とうって変わって天気が良い。 見渡せば何処の畑でもトラクターが働いている。 ゴールデンウイークは農家にとって書き入れ時だ、子供の頃からゴールデンウイークは家の手伝いが決まりだった、学校での友達の旅行話が少し羨ましかった。 私の作業分担は肥料袋の口切だった、母が種を機械(トラクターの後ろに着ける種まきの機械)まで運び入れる。私は肥料を入れる、小さい頃は手鍋で入れていたが小学生高学年に成ると肥料袋を持ち上げる事が出来る様になった。 父から教わった口切のコツが在る、最後まで切らずに手を掛ける部分を残す事だ、今でもそれは守り続けている。 少し薄暗くなり、作業が終わる「やっと終わった」私は畔(あぜ)に座り込む足が棒の様だ 母は先に上がり夕食の支度をしている。 父と2人で、農機具の整備をする、辺りが暗くなる。 父が「もう、いいぞ…」と言い家に入る、納屋を見ていると裸電球が消え父も家に戻って来た。 父と風呂に入る、相変わらず無言で湯船につかる。 「背中流そうか?」 「おぅ。」 大きい父の背中を流す、いつも思うが手術の後が生々しい、父が大きな病気をした時の物らしい、その痕は「死んでたまるか!」という叫びそのものだ。 「気持ちいい?」 「…。」 夕食を食べ終わると私は、深い眠りに落ちた…。 父は時々山をじっと見る、その後ろ姿を私が見る。

ハレの日の祖母/いつもの割烹着

私は富良野盆地に生きる58歳 外は雨、その言葉はこだまの様に響き渡る「雨降って地固まる。」 1975年の6月頃(祖母56歳) 私の父の妹(仮称:Kおばさん)が結婚する事となった。 相手の新郎(仮称:Mおじさん)は旭川生れで一人っ子、父は国鉄職員、母は看護婦だった。 Mおじさんの父はゼロ戦乗りで、出撃する日に玉砕放送があり一命をとりとめた人だ。 Mおじさんの母は品があり、当時は看護婦長を務めていた。 Mおじさん本人は、スポーツ万能、スキー、スキージャンプ、野球、水泳が得意な人だった。 皆優しく、ほがらかな人ばかりだった。 事情は分からないが、うちの家(新婦の実家)で祝言をあげる事に成った。 仏間と座敷に整列している数えきれないぐらいのお膳、それを見るだけでワクワクした。 軒から縁側に雨だれが流れる、外は生憎の「しとしと雨」だ。 式が始まり、親戚の顔合わせが在り、その後は大祝宴となった。しかし女衆(近所の婦人会の人も手伝いに来てくれた)はてんてこまいだ、酒や料理があっと言う間に消えて行く着物に割烹着を着て台所と座敷の往復、まるで運動会の様だ。 私の祖母はその合間に親戚の男衆の相手をしてお酌をする、さすが「元芸妓」だ手際が良い。 最後の折り詰めと引き出物をお膳に運べば女衆はひと段落つく、女衆が疲れて皆でビールを飲み始めた時でも、祖母はお酌を止める事は無かった、私は祖母のふるまいをじっと見ていた。 「○○ちゃん、娘さん良い人と結ばれたね…。」 「有難う御座います…おかげ様で…。」 「でも、生憎の雨だな。」 「ホホホ…」 「雨降って地固まるって言いますから…まんざらでもありませんよ…。」 「さすが○○ちゃん良いこと言うね、やっぱり本家の嫁だわ…。」 座敷片隅で遊ぶ私に聞こえた言葉だった。 夜も更け、呑ませ上手な祖母により、近所の親戚は上機嫌でふらふらしながら帰路に付き、2階の客座敷で男衆は、いびきをかいていた。 新郎、新婦は1階の仏間で寝てもらう(仏間は建具でしきると6畳ぐらいの部屋に成る。) 祖母は、女衆の残った人達のお相手だ…(この時間に成ると私はもうベッドに運ばれていた。) 母の話を聞くと祖母は最後までつきあってたらしい。 言い忘れたが祖母は一滴も酒を飲まない…。 雨音が私を包む…心地良いメランコリック…座敷の匂い、2階の布団の匂い…そして祖母のエプロンの匂い、旧家が家...

変身サイボーグ1号/生きるための出稼ぎ

 私が6歳の時に突然父が出稼ぎに行った、私には何も言わずボストンバックを担いで駅まで向かった。 私は、その状況が分からず父がいなくなったと思った、とても悲しかった。 その後、母親には事情を聴いたが胸にぽっかり穴が開いた様だった。 夕食の時に父の席は椅子だけがぽつりと在る、みな無言で夕食を食べる…。 3か月後、待ちに待った父が帰って来る。私は父を迎える為に玄関に「おかえり!」と画用紙に書いて父を待った…父が到着したのは夜中だった。 朝起きると、枕元に大きな箱が在った、私はすぐさま箱を抱えて父の寝室に飛んで行った、父は寝ていた、静かに寝室の戸を閉めると茶の間へ向かった。 箱の包装紙を取ると、変身サイボーグ1号シリーズのサイボーグライダー・オートバイセット(1974年発売)だった。 私はそれを、寝る時も、トイレの時も、お風呂の時も必ず傍らに置いていた。 透明ボディーに光るメッキパーツ、見ているだけで心が弾んだ、この輝きは今後の人生に影響を与えた。 そんな喜ぶ私を見る父は何時もと変わらず無言だ、でも、それで十分だった、父がそばに居るだけで嬉しかった。 当時、サイボーグライダー・オートバイセットの価格は5.500円だった、今の価値にして2~3万円の値段だ…。 寡黙な父が出稼ぎ先の玩具屋さんで、私の為に給料袋から紙幣を出し買ってくれた、しかも包装紙まで掛けて…。 近所から、子供達の遊ぶ声が聞こえる、もうすぐ5月5日だ。 一番寂しかったのは父だった、そう思う。 見上げれば、今日も空の青さが目に染みる。

驟雨(しゅうう)

今日は雨、ゴールデンウイークの初日に雨かと苦笑する。 バチバチと雨が窓に叩きつけられる、誰にも天気は変える事は出来ない。 水の循環…命の循環。  1945年(昭和20年)8月6日 8時15分、同9日11時02分原爆が投下された。 直後「黒い雨」が降る。 衣服が焼け爛れた人達は渇いた喉を潤す為に天に向かい雨を求め口を開いた。 雨が数粒口の中へ入る。 体内被曝が起こり、もがき苦しみ続け、瞳を閉じる事無く息絶えた。 生き残った者も「歩み寄る死の恐怖」と戦いながら1日1日を生き抜いた。 75年草木も生えないと言われた大地に新緑の芽が生えた、焦土に倒れた人たちの血と涙が奇跡を起こした。 ニュースを見ていると、被団協等の代表の方達がシンポジウム(NPT)を開催ていたその中で、アメリカの参加者がこう質問した。 「アメリカ人を憎んでますか…」と。 「…。」 1歳で被爆した女性の方が答えた。 「…うちの母は…アメリカ人が悪いのでは無い、戦争が悪いのだと生前、言っておりました。」 アメリカの参加者は口を押さえ、絶句していた。 北の大地に雨が降り注ぎ作物がぐんと育つ季節になった、大地の恵みに感謝する。

代を繋ぐ場所 / 宿題の鼻歌

 先日、背中を痛めてしまった、無理な体勢で重い物を持ったせいだ。 気を付けて仕事をしているつもりだが、ついつい若い頃の癖で変な持ち方をする時がある。 反省しながら、30年行きつけの整骨院へ行く、先代の医院長はもう引退して今は若医院長だ。 「どうしました?」 「ちょっと重い物を持って背中が…」 「それでは、横に成って下さい。」 電気針をかけてもらう…気持ちが良い。 しばらく、うとうとしていると声が聞こえた。 「パパ!、宿題教えてよ」 若医院長の息子さんだ、この前赤ちゃんだった気がするが今はもう小学生だ。 息子さんは、パパの横で宿題を鼻歌まじりで始めた、すごく楽しそうだ。 電気針が終わると、マッサージを施してくれた。 「ゴールデンウイーク雨ですね」 「そうですね、子供と遊びに行こうと思ってましたが…残念です。」 「でも、後半は回復するみたいですね。」 「そうですね…晴れると良いです。」 「…。」 「ありがとう御座いました。」…私は会計をする。 私の横をするりと、野球のユニホーム姿で「パパ行って来ます」と自転車に飛び乗った。 私は思わず「こんにちわ」と声をかけた。 「…パパの次は君が私を治療してくれるのかな?」心の中でそう話しかけた。 天気はどんより崩れぎみだが、私の心には日差しが降り注いだ。